第三十話
「快感」
冷たい冬の空気が時雨の体を包み込む。
時雨は咲也は部屋の前で立ち尽くしていた。
部屋の向こうにいるであろう咲也に、その一歩が限りなく重く苦しく感じられる。
「咲也…」
もうその場から逃げたしたい衝動に駆られるが、自らの過ちから逃げ出すわけにはいかない。
とんとんと戸をノックする。
――部屋からは返事はない。
「入るよ咲也…」
時雨は震えそうなか細い声で戸を開く。
咲也の部屋に入ると桐の座卓の上に散らばった割れたお皿とグッチャリと潰れたケーキが異彩を放って目に飛び込んでくる。
その横に力が抜けたように座り込む咲也の姿。
夜着の浴衣の袖で落としたケーキを拾い集めてきたのであろう。
ベッタリと生クリームで汚れている。
表情もうつろで部屋に入ってきた時雨を見ようともしない。
「……〜っ!」
時雨が部屋の光景を目の当たりにすれば、一瞬息が詰まり背中に冷たいものが流れ落ちる。
ゆっくりと咲也の様子を窺うように近づく。
ただどこか一点を見つめ呆然と座り込む咲也は時雨にまるで気がつかないのか、人形のような暗い瞳で佇んでいる。
「咲……也…?」
時雨は震える声で呼び掛けてみる。
時雨に呼びかけられても時雨の方を見ようとはしない。
声も出さない。
まるで糸の切れたマリオネットのように今にも崩れそうにその場に座り込んでいる。
時雨は、呼び掛けの効かない咲也の肩を掴み強く揺り動かす。
「咲也…!咲也!」
必死だった。
自ら犯した過ちが咲也をここまでに追い込んでしまうだなんて思いもしなかった。
愚かさを十分に噛み締めながら咲也を呼び掛ける。
「…しぐ…れ?」
時雨の部屋で澪と居るところを目撃し落としたケーキを慌てて拾い集め部屋に逃げ帰った…。
その後の記憶がないくらい呆然と座り込んでいた咲也は激しく揺らされてようやく時雨に気づく。
「…っ」
さっきの時雨のことを思い出し苦しげに眉を寄せ片手で口元を覆い吐き気をこらえる。
咲也がようやく呼び掛けに応じ、ほっとしたのも束の間、咲也は苦々しく時雨を見てまるで拒絶するように目を伏せる。
『大丈夫?』と聞くことさえ躊躇いを感じ、ただ自分の行いに後悔しながら咲也に寄りそう。
咲也の着物はケーキでべっちゃりと汚れているが構わず咲也の背中を撫でる。
「…触らないでっ …澪に…
他の人に抱かれた手で…っ 触らないで!」
今までだって時雨は一条様をはじめ多くのお客様に抱かれてきた。
なのに今日のことだけは許せないというように時雨を拒んでしまう。
「…っ!」
恥ずかしがりの咲也がここまで大きな声を出すのを聞いたのは、恐らくはじめてで、時雨は思わず身を引いてしまう。
その後しばらく重苦しい空気が部屋を埋めつくし沈黙が流れる。
「ね…咲也…とりあえず…お風呂入ろっか
…汚れたらままだとあれだし…」
その場をなんとか取り繕おうと時雨は作り笑いをして咲也に問いかける。
「…」
時雨の身体も洗われれば少しは落ち着くかと吐き気を我慢して頷く。
時雨に導かれるように浴室に向かい汚れた浴衣を脱ぐ。
いつものように檜風呂には湯がすでに張ってあり、特有の甘い香りが鼻を撫でるが今はそれを楽しむ余裕もなく、今は自分の身体を清める事だけに集中する。
咲也の身体も洗ってあげたかったか先程の様子では身体を触れさせもしないだろう。
できるだけ念入りに身体を洗い湯船に浸かって、咲也を窺う。
おそらく澪のものであろう嗅ぎなれないコロンの香りがしていた時雨が、自分と同じボディソープやシャンプーで身体を清めればムカムカしていた吐き気も少し収まってくる。
持ち込んだ浴衣をお湯で洗い生クリームを落としてから時雨と向かい合うように湯船に浸かる。
「…」
何を話していのか、聞いていいのか…。
沈黙が重く浴室を支配する。
いつもは朗らかな気分で湯船に浸かっていたのとはまるで逆で、向かい合ってはいるものの気まずい空気に、胸が押しつぶされそうになる。
「あの…咲也…」
時雨は何か話さずにはいられない。
「いつから…見てたの……?」
身を小さくしながら咲也に問いかける。
時雨の問いにゆっくりと口を開く。
「…時雨が…『澪 澪』って
呼びながら… してたとこ…」
思い出すとまた苦しくなる胸にぎゅっと握り締めた拳を当てて、思い出したくない光景に涙が浮かぶ。
「咲也…ご、ごめん」
瞳に涙を浮かべ苦しげに語る咲也を見て、時雨はなんとか謝罪の言葉を紡ぎ出す。
咲也の身体は小刻みに震えているようで、それでも先程拒絶されたことが頭をよぎれば、寄りそうことすらできない。
「…」
簡単に謝られても許せるようなことではない。
ただ咲也自身に時雨のことをそこまで束縛する権利があるのだろうか。
そう思ってしまうとなんと応えていいか分からなくて辛そうに時雨を見つめるだけで涙をこらえる。
「何て言ったら…わかんないけど…」
時雨は口を開く。
「咲也が来てくれて良かったって…思ってる」
それは咲也のためなのか、自分の言い訳のためなのか、時雨さえもよくわからない。
ただ何かを咲也に話さなければこの雰囲気に耐えられずに逃げた出してしまいそうだった。
「…僕に見せたかったの? あんなとこ…」
時雨の言葉の意味が分からずそのまま聞き返す。
下手に口を開くと時雨を責めてしまいそうで言葉を選びながら話す。
「僕は…見たくなかった…
知りたくなかった…
時雨が…僕以外とも…してるなんて…」
「違う…もちろん見せたくなかった… でも」
時雨は続ける。
自分でさえ何を話しているかさえわからないまま…
「たぶん…咲也が見てなかったら
歯止めが効かなかったと思う。
他の誰かと、ずるずると…
咲也に見つかるまで…」
「……誰でも…いいの…?
僕もその中の…一人なの…?…」
二宮のおじさまの言うように時雨にとっては『ラブゲーム』なのかと胸が苦しくなる。
湯船の中でお湯に浸かっているのに寒気がするようにカタカタと小さく震えが止まらない。
「『確かめたかった』だけ…だから…
多分違う…と思う」
誰とでも、というつもりはなかった。
ただ自分の悦楽だけのために身体を交えたことは疑いようもなく、時雨は言葉を濁す。
「僕…淫乱だからさ… しかたないよね…」
「……時雨の…バカ…」
今は時雨の言葉は今までの二人の関係を全て『淫乱だから』で終わらせてしまうようで。
水面に顔が浸かるぎりぎりまで膝を抱いて俯き涙をこぼす。
「咲也…ほんと…ごめん」
淫乱であることが自分にとっての存在価値であると思っていたが、その事が他人を傷付けるだなんて思いもしなかった。
自らの意味が揺らぎながらも、泣き崩れる咲也にただ謝り続ける。
「謝らないでよ…
時雨を縛る権利なんて…
僕には…無いんだから…」
こんなことを言いたいんじゃない。
そう思いながらも言葉が止まらない。
「どうせ僕も…時雨にとっては…
ちょっと長続きした
『ラブゲームの相手の一人』なんでしょ?
…そろそろ飽きてきちゃた?」
ヤケクソのように言葉を吐く。
「違うっ…そうじゃない!」
時雨は否定してみるものの、どこに信用に足る要素があるのだろう。
時雨自身がその言葉の軽さを認識していながらも、やはり抗ってみせる。
「違う…咲也
そんなつもりじゃなかったんだよ…」
時雨とて無意味に澪と交わったわけではない。
「咲也…僕は咲也とじゃないと…
…駄目なんだよ」
行為の心地よさ、堕ちるような快楽、それは澪の時には味わえなかった。
時雨はそのことを十分に確信している。
だからこそ抗ってみせる。
「…どういう意味…?…」
時雨の言葉の意味を分かりかねて問い返す。
まさか『淫乱』だからと言う時雨が他の相手では快感を感じられずに悩んでいるとは思いもせずに。
「澪とヤってみて、わかった…。
物足りないんだ…全然」
時雨は咲也を誘っているわけではない。
だがその瞳は、熱く何かを求めているようで。
「咲也じゃないと…だめなんだ。
それが…少しわかった」
言いたいことを言い切れば時雨は申し訳なさそうに俯く。
「…」
俯いてしまった時雨をじっと見つめる。
その言葉に嘘はなさそうだ。
「なら…」
ゆっくりと本音を漏らす。
「もう僕以外と…シないで…」
強い独占欲を表すかのように湯船の中で腕を伸ばし時雨を抱きしめる。
咲也の方から手を伸ばし、抱きしめてくるのをそっと受け止めて、肌の温もりを感じる。
咲也の発した言葉に一瞬戸惑ってしまう。
「…だめだよ、咲也…僕らは男娼なんだよ…
身体を売らなきゃ生きて行けない…。
僕はここ以外に居場所を知らないから…」
咲也の気持ちはよく分かる。
だがそれは、今の時雨には嘘でも首を縦には振れない。
「うん…分かってる…
お客様は…仕方ないけど…
他の子とシないでって意味…」
本当はお客様だって嫌だけどそれはここで出会った二人にはどうしようもできない。
苦笑いを浮かべ時雨の髪を愛おしく撫でる。
時雨は、それでも答えを躊躇った。
いまさら『しない』と言っても、咲也は信じるだろうが、あまりにその言葉は軽すぎる。
少しの沈黙の後、時雨はゆっくりと口を開く。
「今…約束したって
あまりにも無責任だと思う」
顔をあげて咲也を見つめ。
「だから…
咲也が僕に好きなだけ刻んでくれればいい。
僕が逃れられないくらいの快楽を」
「うん… 時雨は僕のものだって…
分からせてあげる… ちゅ」
時雨の髪を撫でたまま唇を奪う。
今までの二人の関係を思い出しながら。
二人の絆は今日のようなことがあっても壊れない。
それだけは信じながらキスを深くしていく。
「んっ…ふうっ…んん…ちゅ」
舌を挿し込み、唾液を絡ませていやらしい音をたてながらキスを交わす。
キスをしただけで時雨の体がぞくりと震える。
澪との交わりにはなかった胸の高鳴り。
鼻息が荒くなり自然と声が出る。
「ちゅく ふ… 時雨… 誰にも渡さない…
ちゅ 僕のものにしたい… ちゅぅ」
唇の端から零れる唾液を舐め取るように顎から首筋へと舌を這わせてきつめに白い肌を吸い上げる。
紅い口跡が時雨をいっそう蠱惑的に魅せる。
「んはぁ……咲也…っ、んうっ…」
普段の愛撫からは想像できない程の独占欲をはらんだ口づけに時雨は身体をのけ反らして甘美な快感を受け止める。
本当に食べられてしまうのではないかという少しの恐怖とスリルが堪らなく心地いい。
「時雨… 時雨… ちゅく ん」
首筋から鎖骨 肩にかけて口痕を残していく。
この口跡が消えるまでは仕事ができないだろうと分かっていながら。
その間だけでも時雨が自分の物であるようにと口跡を刻んでいく。
強く強く吸い付く痛みが時雨を刺激する。
時雨には決して被虐的な趣味はないがこのときは、こうされることを望んでいたかのように受け止める。
「ね…もっと咲也の気持ちみせてよ
うんと気持ちいいのをね…」
澪との行為で満足できなかった時雨の身体は疼きっぱなしで、屹立もつんと立ち上がって苦しそうだ。
「うん… 時雨…
僕の気持ち…分かって…」
湯の中で時雨の腰を持ち上げ自分の足の上に跨らせる。
水面より上に出た胸の突起に吸い付く。
優しく指でいじりながら反対側は歯を立てたりきつく吸い上げ少しずらして白い胸板を紅く染める。
「ふぅ…んゃあ…っはああ…あっ」
――ああ、気持ちいい。
性感帯と化している乳首がこねくりまわされ、噛まれ、吸われる。
澪の愛撫とさほど変わりはないのに感じてしまうのは何故だろう。
想いは快楽にかき消されては浮かび上がり、呼吸が苦しい程に時雨を苛む。
「ちゅく…ちゅ… はぁ 時雨… ちゅ」
乳首を吸い上げたり舌で押し込んだりして固く立ち上がらせ軽く歯を立てる。
どうすれば時雨が気持ちいいのかはもう知っているつもりだ。
時雨を激しく愛撫しながら足の上でヒクつく屹立を片手で握り扱いていく。
もう、咲也に抱かれるのは何十回目になるだろう。
そのたびに飽きることもなく快感を貪ってきた。
それは今なお変わらない。
その快感だけは変わらなかった。
むしろ熟成されていくような快感を時雨は感じていた。
「あああっ…咲也…っ
…イイッ、すっごくいいっ…」
目をぎゅっと瞑り、咲也の濡れた頭をかき撫でて腰を動かしていく。
「はぁ ん… 時雨…気持ちいい…?」
時雨の反応を確かめるように見つめながら片手で屹立を扱きつつ反対の手を腰に回して孔に指を差し込みほぐしていく。
「うん…はっ…あ…頭をくらくらする…」
身体が湯の温かさでほてり、目眩にも似た浮遊感が時雨の身体に駆け巡る。
「やあっ…らめっ、今お尻…さわっ
……あ…あああっ…」
孔に指を差し込まれた次の瞬間には、湯の中に精液を放ってしまっていた。
「時雨が『ところてん』なんて珍しいね…
そんなに気持ちいいんだ?」
時雨の反応に満足そうに微笑み、イッタばかりの屹立をなおも扱きながら孔の中にお湯を入れるように指で広げていく。
「う…はぁ…あ、咲也…まだまだ…
気持ちよくなれそうだから…ひゃああっ」
呼吸を整えようにも、咲也は休ませる気などないだろう。
腸内にずくんと熱い湯が入っては出ていけば、溶けていまうような錯覚に陥る。
「さく…やぁ…お尻…せつない」
「ん… 僕も気持ちよくさせてほしいな…」
孔から指を抜き足の上の時雨をぐいっと引き寄せ自分の屹立に跨らせる。
お湯が入るのもお構いなしに自分の屹立を時雨の孔に埋めていく。
「くぁ…ああ 時雨… しぐれっ」
ちゃぷちゃぷと水面を揺らしながら湯の中で腰を打ち付ける。
「あ、はあっ…うあっ、あああっ!」
――やばいっ、気持ちいいっ。
これだ、やっぱりこれが欲しかったんだ。
湯の温かさと咲也の温もり、屹立の熱さが時雨の頭をぐずぐずに溶かしてしまう。
脳髄がスパークし、叫びにもにたあえぎ声と涙を流す時雨。
それは快楽からなのか、それとも…
「時雨…っ あぁ ふぁ…ッ」
時雨の腰を両手で掴み湯の中で上下に打ち付ける。
浴室に響く時雨の声がゾクリと何かを刺激する。
もっと鳴かせたい…。
そんな気持ちがこみ上げてくる。
「くぅ… 時雨…っ」
時雨の泣き顔を見上げながら時雨の体内にも自分のものだと刻み付けるように激しく出し入れして前立腺をなぶる。
もはや、今の時雨は快楽に身を堕とした獣そのもの。
ここがどこで、何をしているかなんて関係ない。
極上の快楽をもたらしてくれる相手が居るならそれ以上に、必要なものなどないだろう。
「わあああっ!あっあ…さくっ…んやあっ…」
言葉にならない言葉を紡ぎ、舌をだらりとだらしなく出して涙もよだれもありとあらゆる粘液を出してよがる。
「んぁぁッ 時雨 時雨ぇ はぁ…っ」
波打つ湯とリズムを合わせるように腰を振り時雨の中で熱く固くなっていく自身に限界を感じる。
「くぁぁ もうっ ダメ…ぇ…ッ
あぁあああぁぁッ イクぅ!」
ぐっと時雨の腰を掴み最奥まで貫いて時雨の中に熱い白濁を注ぎ込む。
――熱い熱い迸り。
それは湯の熱さどころではなく、内臓はおろか骨まで焼き尽くしてしまうような感覚だった。
あまりの衝撃に、時雨は吐き気を催すほどの快感を飲み込み。
「ああああああああっ!!」
叫びとともにドライで絶頂に達して魚のようにピクピクと痙攣する。
「はぁ はぁ はっ 時雨…」
乱れた呼吸のまま時雨をぎゅっと抱きしめる。
「…大好きだよ…時雨…」
どんな言葉でも自分の気持ちは伝わっているのか不安になりながらも想いを全てぶつけることしかできない。
一瞬まっしろに染まった世界から、咲也の声で呼び戻され、抱き締め返す。
「ん、は…
知ってるさ…ずっと」
だが時雨は咲也に嘘でも『好きだ』とは決して言わない。
ただその咲也の気持ちをできるだけ裏切らないようにと心に決める。
「ね…、もう一回…
まだおさまんないから」
時雨は優しく誘う。
咲也の唇にそっと重ねながら。
「ん… 風邪ひいちゃうから…布団で…ね?」
優しく口付け微笑みながら。
温泉の注ぎ口から綺麗なお湯を手桶にとって時雨の肩から流して温めてあげる。
「もう一回なんて無理…
もっと時雨を抱いていたいよ ちゅ」
「ん…そうだね、じゃあお気の済むまで…」
多分身体が持たないだろうなあと思いつつ、また屹立がもたげるあたりどうしようもない淫乱だなと自分でも思う。
自分自身に苦笑しながら、明日は仮病でも装うかと思案する時雨だった。
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