第二十三話
「8月23日 朝」
眩しい日射しが窓からこぼれ、少年は目を覚ます。
咲也の誕生日の翌日。
その隣に咲也のぬくもりはない。
時計の針はそろそろ午前10時を回りそうだった。
「ん、くぁぁ」
乾いた精液で少し突っ張る身体で伸びをし、シャワー室へ向かう。
その眼はまだ眠たそうだ。
10分としないうちに、時雨はシャワー室から上がり少し遅い朝食を取りに食堂にいく。
この時間だもうほとんど食堂に人はいないだろう。
ちゃっちゃと食べてもう一眠りしようとあくびをしながら、歩く。
……食堂には人だかりができていた。
年代問わず食堂にごった返している。
まさか揃いも揃って寝坊した訳ではあるまい。
そろっとその群集の中に紛れ込んでみる。
群集はテレビの回りをぐるりと囲むように集まっている。
何か事件でもあったらしい。
「あ 時雨 おっはよー」
「これ 咲也からの伝言だよぉ」
春陽と秋月が時雨を見つけて声をかけてくる。
手には昨夜食べ損ねたケーキの一切れの乗ったお皿を持ち。
『たんじょうびおめでとう』のチョコの乗ったその部分は咲也のために残されていたのだろう。
「時雨に食べてってさー」
なんだかんだ言いつつ時雨を食事の席に付けさせテレビから遠ざけるようにする双子。
「ああ、でもそんなことより何ですかこれ、なにか大変なことでもあったんですか」
お皿を持ったまま首を傾げ双子に問いかける。
この位置からはテレビは見えず背伸びをして状況を伺おうとする。
「んー…」
「ちょっとねぇ…」
やっぱり時雨は知らないんだねぇっと小声で確認し合ってどうしたものかと双子が迷っていると人だかりがざわめく。
「来た!」
「咲也だ!」
ざわざわと騒ぐ声の中、テレビのアナウンスも
『織原咲也君による献花です』
と、咲也の名を告げる
「は?」
咲也が食堂に来たのだろうかと入り口に目を向けても誰も居ず、咲也だ咲也だという男娼達の目線はテレビに釘付けである。
小さな身体で群集をかき分けてけてテレビが見える位置まで近寄ると… 『咲也がいた』
遊郭に来なければ通うはずだった有名私立の制服姿の咲也は昨日とは別人のような表情で。
献花台に花を置くことを遺族代表らしい男性に断られて仕方なく地面に花束を置きそのまま慰霊碑と遺族とに頭を下げている。
すると遺族席からの野次が大きくなり俯く咲也に浴びせられる。
「………………は?」
昨日あれだけ激しく求め合った相手がテレビの向こうにいる。
しかもいつもの着物ではなくばっちりキメた服装で。
他人の空似ということも考えたが、『織原咲也』という名前が画面に映ることからそれも否定される。
「え?どうゆうこと………」
「あちゃぁ…」
「どーするー?」
春陽と秋月が諦めたようにため息を吐いていると、ザワッと男娼達からもテレビからも声が上がる。
テレビの中で誰かが投げつけた生卵が咲也の顔にあたって黄身をぶちまけている。
それに続いて供物用に用意された林檎やスイカなどが次々に咲也を襲う。
咲也に付き添っていた男性に庇われながらもその場を動かずひたすらに頭を下げる咲也。
まるでそれは暴動が起こったかのような荒れようだった。
次々に浴びせかけられる罵声や、物をひたすら耐える咲也の姿が信じられなかった。
こんなことあるはずがない。
ああそうだ夢をみているんだと思ったが、悪夢でもこんなはっきりしたものは見たことない。
隣では煙管をプカプカふかしながらじっとテレビを見つめる柚槻の姿が。
「ね…ねぇ…一体、どうなってるの?」
時雨の言葉にその場に居た皆が振り返る。
「え? 時雨知らないの…?」
テレビの中の咲也よりも 時雨のことを珍しい物でも見るように見てくる視線。
柚槻がキッと睨みつける。
「…説明してやるから来い」
柚槻が小さく言って時雨と双子の3人を連れて部屋に向かう。
「えっ…えっ…」
現状を理解するのに、あまりに温度差がありすぎる。
そう判断した柚槻がやや目つきをするどくし、低い声で周りへの威圧を含めて時雨を連れ出す。
不機嫌そうな柚槻は久し振りにみるような気がする、と思いながら柚槻のあとを追う。
柚槻の部屋について改めてテレビを付ける。
チャンネルを選ぶ必要もなくすべてのチャンネルで中継中のようだ。
流石に追悼式の中断になったと判断されたのかスタッフによる静止と咲也の退場が促されていた。
「…どこから説明すっかな」
煙管を咥えて双子に尋ねる柚槻。
「時雨ー 『ORIHARA』って聞いたら何を思い浮かぶ?」
「『チョッコレート♪チョッコレート♪チョコレートはORIHARA♪』ってCMとかなら知ってるよねぇ?」
と、まずは『ORIHARA』についての確認をする。
未だに訳の分からない時雨に、双子が関係のなさそうなことを問いかけてくる。
なんでチョコレートのことを…と思いつつ。
「そりゃ、ORIHARAチョコレートはいつもお世話になってる……ORIHARA?」
『ORIHARA』と『織原』咲也。
偶然一致しているが、まさかと時雨は目を見開く。
「最近あのCM観ないと思わないー?」
「ちょうど2年くらい見ないでしょぉ?」
「倒産はしてねぇがCMとかは自粛してんだよな」
3人がそれぞれ言う言葉。
それは時雨の『まさか』を肯定していた。
時雨がちょうど遊郭に来る頃までは、そのCMは頻繁に流されて日本中、世界中で有名であったそうだ。
その『ORIHARA』が一致する。
まさかこんな状況で嘘をつくわけもないだろう。
つまり…
「咲也は、ORIHARAチョコレートの御曹司?」
「チョコレートだけじゃねぇよ 他にも『ORIHARA』ってつくもの全部の御曹司だ
それが今 咲也がテレビで頭下げてる理由だ」
テレビの画面はもう咲也の次の人が献花するシーンを映していて咲也の姿は見えない。
リモコンでチャンネルを変えてみると三流ゴシップ番組として名高い番組が執拗に咲也をカメラで追っていた。
『今日は会長名代で来たの? 咲也君個人の判断?』
『会長夫人… お母さんは来ないの?』
など個人的な質問も容赦なしに浴びせかけられていた。
「へ…へぇ〜…」
そうも言われてもあまり実感が湧かないのが現実だった。
しかしあの休暇のときも別荘があったり、使用人がいたりとしたのも納得できたりもした。
だがなぜ咲也は罵声の中にいるのだろう。
なぜ謝っているのだろう。
「見た感じ、死んだ人の弔い…かなあ…」
咲也の顔は暗いが、はきはきと話すあたり遊郭と違う様子を伺わせる。
「そうだよー 咲也の誕生日の翌日に『ORIHARA観光』のバスが高速のトンネルで事故ってねー」
「バスも『ORIHARA重工』製のだったから全部ORIHARAの責任にされてねぇ」
噂好きの春陽と秋月がペラペラと当時の様子を話していく。
たまに柚槻の視線を気にして言葉を選びながら。
「…で 咲也のお父さんは責任負って自殺しちゃったんだよー」
「だからこうやって咲也が代わりに出てるんだよぉ」
双子の口から語られる言葉がすべて初耳で、咲也がこの遊郭にやってきて5ヶ月ちょっとの間で咲也のことを何も知らなかったと知る時雨。
咲也も大変な思いをしているのは良く良くわかった。
だけど事故だけでここまでの暴動まがいが起こるのだろうか。
そして……
「じゃあなんで咲也は遊郭にいるんだ…御曹司ならあとを継いで、すぐ事態の収拾を図るとか…」
時雨のその言葉とほぼ同時にテレビからは全く逆の質問が流れる。
『咲也君 その制服はS学園のだけど 君 学校行ってないよね? どこで何してるの?』
さすがにこの質問には答えられず俯く咲也と
『もうやめてください』
と、付き添いの男性がカメラを押しのけ咲也を車に押し込む。
「…咲也の親父さんを憎みたくはないが… 残した事態が咲也には大きすぎたってことだ…」
「そんな……」
そんな馬鹿な、と時雨は思った。
話を聞く限りでは咲也の父さんが何かをやらかしてその報いが咲也に回ってきているようだ。
しかし怒る気にはなれない。
あまりに唐突すぎて未だに自分の頭の中を整理仕切れていない。
「この事は…皆 知ってたことなんですか…?」
三人は顔を見合わせる。
「…多分 知らないのは ここでは時雨だけだよー…」
「咲也が知られたくなかったんだろうねぇ」
申し訳なさそうに双子が答える。
咲也が遊郭に入ってから5ヶ月ちょっとが経つ。
時雨は咲也のことをよく知らないでいた。
咲也の生い立ちが時雨にとって特に気にするようなものではないからだ。
それでも咲也は積極的に時雨に自らのことは教えようとはしなかった。
しばらく時雨は俯き考える。
そして
「そっか…」
と、一言呟くだけ
「…そんな顔すんな 咲也が一番見たくねぇ顔だと思うぞ」
「何も知らない時雨が咲也の救いだったんだろうけどー 知っても変わらないと信じてると思うよー」
「本当に知られたくなかったら 僕らに『時雨には見せないで』って言って行くしぃ」
俯いてしまった時雨を励ますように話しかける。
「ちがう、そんなことじゃないんです。」
時雨は三人を見つめて言う。
「咲也が大企業の御曹司だとか、これっぽっちも気にしちゃいないんですよ。むしろ僕は咲也のことを知れて嬉しいんです。ただ…」
少し寂しそうな顔をして
「ただ、なんで言ってくれなかったのかなあって、僕が咲也に喋ったように、咲也も」
と、力無く話す。
「馬鹿……」
「…怖かったんだろうな」
柚槻がため息をついて時雨の髪をくしゃっと撫でる。
「『ORIHARA』である自分を日本中が知ってて忌み嫌っている… そんな中 何も知らない手前に逢った。自分のことを知らない奴なんて珍しかったんだろう。…嬉しかったんだろうな。だから言えなったんだろう… 咲也の気持ちも察してやれ…」
「帰ってきたら『咲也から聞きたい』って言えばいいじゃんー」
「こんな野次馬の騒動より咲也を信じてあげなよぉ」
「そのつもりですよ」
と、柚槻や双子に宣言する時雨。自分にとって他人の出自や境遇など評価基準になりやしない、ましてや咲也相手なら。
ただ知ってしまった以上は本人の口から真実を聞く権利はあるだろう。
「わざわざありがとうございました」
ぺこりと頭を下げて、柚槻の部屋を後にする時雨。
「あんまり無理やり聞こうとすんなよ…?」
時雨の背中に声をかける柚槻。
「大丈夫かねぇ?」
「うーん…」
3人は苦い顔をしながら時雨を見送り、テレビの中の咲也もリポーターのカメラから逃れて車を発進させるのを見る。
手をひらひらと振り
「大丈夫ですよ」
と合図を送り廊下に出る。
「こういうのは深く考えても仕方がない」
一人呟き、割り切る。
今日も予約でいっぱいなのだ、変にクヨクヨしてると『お客様』に失礼になる
しばらく歩き自分の部屋に戻る時雨。
「寝よう」
朝食のあとは二度寝して夜に備える、それが時雨のスタイル。
ちょっとした事件があってもそれを崩さないあたり時雨の強さや図太さが感じられるようだ。
布団にくるまり、まもなく時雨は眠りに落ちる。
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