番外編 第五話 「さっちゃんとお爺ちゃんの約束」
番外編 第五話
「さっちゃんと
 お爺ちゃんの約束」




まだ僕たちが小学生だった頃…
お爺ちゃんは大きな病気をして,
手術のために町の病院に入院していた。

手術の時と入院の時に荷物を運ぶのに2回だけお婆ちゃんに連れて行ってもらったけど,
町の病院は遠いからと、僕たちはお見舞いにも行けずどんな病気なのかも知らされていなかった。

3ヶ月ほど入院して、お爺ちゃんは帰ってきた。

「お爺ちゃん おかえりなさい」
お婆ちゃんに付き添われて山道をしんどそうに登ってくるお爺ちゃんを庭先で待っていたが待ちきれず、坂を降りて行って迎に出て荷物を持ったり背中を押したりしてお爺ちゃんにじゃれついて。

「おじいちゃん 痩せたねぇ…」
すっかり面変りした痩せた顔や、さっちゃんに柔道を教えたり畑仕事をしていたがっしりとした体格も服の上からでも分かるくらい細くなっていた。

「病院のご飯が美味しくなくってなぁ… 早く婆さんやさっちゃんのご飯が食べたいわい」
僕の頭をくしゃくしゃ撫でながら心配しないでいいよと微笑んでくれた。

「うん 今日はお爺ちゃんの退院お祝いだから ご馳走なんだよー ね お婆ちゃん」
病院まで退院手続きとかで迎えに行っていたお婆ちゃんの代わりに買い物を頼まれていたので、その材料から今晩はおじいちゃんの好物だらけになりそうだと、買い物をしながらしーちゃんと話していた。

「そうかい そりゃぁ楽しみじゃのう お腹を空かせて待っとった甲斐があるのう」
嬉しそうに微笑みながら僕としーちゃんに両手を引っ張られながら坂道を登りやっと家に着く。

「今日はデザートも特別なんだよ」
甘いものが大好きなしーちゃんは、待ちきれないというように僕の方を向く。
「あ しーちゃん シーッ 内緒で驚かそうと思ってたのにー」
しーちゃんにデザートのことをバラされ、おろおろしてしまう僕。

「ほうー? しーちゃんが特別と言うくらいじゃ なんじゃろなぁ? さっちゃんが作ってくれたのかのう?」
「あったりー」
勘のいいお爺ちゃんはしーちゃんの言葉と僕の態度で気がついてしまった。
悪びれもせずしーちゃんははしゃいでいる。
「もうー 内緒にしてって言ったのにー」
ぷーっと膨れる僕の頬をしーちゃんがつんんつんっと突っついて
「ごめんごめん だってさっちゃんのケーキ すっごく美味しそうだったんだもん」
「あーっ もうっ 言っちゃダメだってばーっ」
「あ ごっめーん」
ポカポカとしーちゃんの胸を叩いてもしーちゃんはニヤニヤ笑ってる。

「ほうー ケーキかぁ さっちゃんはすごいのう もうそんなにお菓子が作れるようになったんじゃのう こりゃ 爺ちゃんも楽しみじゃわい」
しーちゃんを叩くのをやめてお爺ちゃんにギューっと抱きつく。
「うー そんなに期待されちゃうと出しにくいよぉ」
「それじゃあ 僕が全部食べておくよ」
「ちょ…っ もうー しーちゃんの意地悪ー」
僕としーちゃんのやりとりを笑いながら見ていてくれたお爺ちゃん。

「僕ばっかりずるいから お爺ちゃん しーちゃんにも何か 退院お祝い おねだりしたら?」
「そうじゃな さっちゃんばっかりバラせれて 可哀想じゃもんなぁ 何がいいかのう?」
お爺ちゃんの背中に抱きつきながら困ってるしーちゃんを見る。
「そんな急に言われてもね…」

「…ふむ…」
しばらくイタズラを企むように微笑みながら考え事をしていたお爺ちゃんが言う。
「それじゃあ 婆さんの料理で晩餐してから さっちゃんのケーキでデザートを楽しみながら しーちゃんのピアノとヴァイオリンをBGMにしようかのう」
ほっほっほと楽しそうに笑いながら僕としーちゃんの頭を撫でてくれた。

「ええっ それって僕は弾いてる間 ケーキ食べれないってこと!?」
BGMのことについてじゃなくケーキを食べられないということに大問題だというように慌てるしーちゃん。
「大丈夫じゃろ? のぅ さっちゃん?」
「うん そしたら僕がしーちゃんの分 食べさせてあげるから」

三人でわいわいやっているうちにお婆ちゃんの料理が出来上がり四人で食卓を囲む。
「おお これは久しぶりに 美味そうなものばかりじゃのう」
マグロのステーキに、アスパラガスとベーコンのサラダ、揚げナスのおろし煮に、白菜と干し海老のスープ。
どれもお爺ちゃんの好物が並ぶ。

久しぶりの四人での食事にお婆ちゃんも嬉しそうに会話に加わり。
「どうですか? お爺さん」
「あー 久しぶりに『料理』を食った気分じゃわい」
「病院食ってそんなにまずいの?」
しーちゃんの質問に真剣な顔でうんうんと頷き。
「爺ちゃんは自分が舌の病気になって 味がわからなくなってしまったんじゃないかと 心配になるくらい味がしなくてなぁ」
そう言うとスープをすすり。
「でも こうやってちゃんとした料理なら 干し海老の微妙な味もちゃんとするからのう」
病院食はもうごめんじゃよと笑う。

そんな会話をしつつ食事を進めていくとお茶ばかり飲んでいるお爺ちゃんに気がつく。
「お爺ちゃん もしかして もう お腹いっぱいになっちゃった? …ケーキ 無理かな…?」
「あ いや 大丈夫じゃよ」
慌てたように僕を見つめ。
「病院食があまりに味がしなかったのに 急に美味しいものを食べたら 胃がびっくりしてしもうただけじゃわい」
と僕を安心させるように言うと、今度はお婆ちゃんが心配そうに聞く。
「塩っぱかったですかねぇ?」
「いやいや 美味しかったぞ …でも胃が小さくなってもうたからか… 残してすまんが もうデザートをいただこうかの さっちゃんのケーキを出しとくれ」
とお婆ちゃんに申し訳なさそうに苦笑いを向ける。

「いいよ お爺ちゃん 無理しないで? お婆ちゃんのご飯の方が栄養あるんんだし…」
お皿を片付けようとするお婆ちゃんを止めて。
「いいんですよ さっちゃん ご飯はこれからまた毎日一緒に食べれますし それに さっちゃんのケーキは今日が『初めて』なんですから ちゃんと食べてもらわなくっちゃねぇ」
にこにこと微笑みながら僕にケーキの用意を頼むお婆ちゃん。

「うん… そんな凄くないから… あんまり期待しちゃダメだよ?」
お皿を下げるお婆ちゃんを手伝いつつ台所に向かう。

「じゃあ 僕はリクエスト通り BGMを務めさせてもらうよ」
食卓から立ってお婆ちゃんのピアノとヴァイオリンを用意する。
「どっちから弾こうか? 曲のリクエストもある?」
「じゃあ さっちゃんのケーキが来たらのう」
家でもあまり楽器を披露しないしーちゃんの久しぶりの演奏に嬉しそう待つお爺ちゃん。

「…はい お待たせ」
アールグレイの紅茶のシフォンケーキに生クリームと『退院おめでとう』とチョコペンで書いたクッキーを乗せたケーキをお爺ちゃんに手渡す。

「ほう 綺麗にできとるのう 全部さっちゃんが作ってくれたのかい?」
「うん… お婆ちゃんに教わりながらだけど…」
えへへっと照れ笑いを浮かべながらケーキを切り分けていく。

「じゃあ 早速いただこうかの」
パクリとケーキを一口食べると
「おお すごい 婆ちゃんの作るのと同じじゃわい」
「ほんと? 美味しい?」
ホールケーキのまま出したかったので味見をしていないので心配そうにお爺ちゃんが食べ進めていくのを見つめる。

「さっちゃんが一番信用しとる しーちゃんに食べてもらえばええじゃろ」
僕の髪をぽふぽふ撫でながら、楽器を前にケーキを待つしーちゃんに視線を送る。

「さっちゃん さっちゃん 早くー」
しーちゃんにも呼ばれてケーキを持って近寄る。
「あーん」
スズメのヒナみたいに口を開けて待ってるしーちゃんにケーキを一口に切って食べさせる。
「ん…うま…」

「しーちゃんや 今のその『美味い』ってのを 音で表現して弾いておくれ」
お爺ちゃんはにこにこと微笑みながら難しい注文をする。
「即興ってことね…」
譜面どうり弾くよりしーちゃんには容易いようで。
ポロンポロンと軽やかで優しい音を奏で始める。

「…ふむ 『後味』と言った感じじゃのう さっちゃん もっとケーキを食べさせるんじゃ 『美味しい瞬間』を聞いてみたいのう」
「うん わかった」
ピアノを弾き続けるしーちゃんにケーキを食べさせると、どう運指したのかと思うような鍵盤を一気に高音へ登り上げるようにポロロロロロロロンっと音が弾ける。

「おおー」
ケーキ皿を膝に置いてお爺ちゃんが拍手を送る。
「それがしーちゃんの『ケーキ美味しい』の音かのう いい音じゃのう のう婆さん?」
「そうですねぇ」
お婆ちゃんはお爺ちゃんに紅茶を淹れながら微笑む。
「さっちゃん 窓を開けてきてくれんかの?」
「うん」
「え ちょっと やめてよ また村中から 『聞こえた』って言われちゃう」
窓を開けると家の構造上楽器の音がすごく反響してこんな静かな夜の村中に響くほどになるのをしーちゃんが恥ずかしがって止めるが。
「こんな狭いい家の中にあるのが もったいない音じゃからのう」
窓を開けようとお爺ちゃん自身が席を立つのを僕が止める。
「今日はお爺ちゃんの退院のお祝いなんだって 村中知ってるから大丈夫だよ」
しーちゃんにそう言って四方の窓を開け放つ。

お爺ちゃんはケーキを綺麗に食べてくれて
「美味しかったよ さっちゃん」
と、僕の髪を撫でてくれて。
目を閉じて今度はしーちゃんの音を味わうように耳を澄ます。
お婆ちゃんも僕も並んで座って目を閉じる。
「ちょっと… 三人して寝てるみたいなんだけど?」
ピアノから指を離さず振り返ってしーちゃんが苦笑いする。
「大丈夫じゃ ちゃんと聞いとるぞ …こうしてるとしーちゃんの後ろに フルオーケストラが居て しーちゃんのピアノソロが終わり 指揮者の合図を今かと待ち受けとるようじゃ…」
「…本当にねぇ なんだか懐かしいですね お爺さん」
「しーちゃん すごいねー」
三人で目を閉じながら誇大な想像に酔う姿に呆れたようにため息をつきながらも演奏を続けるしーちゃん。

「昔 婆ちゃんと言ったオペラ座が目に浮かぶようじゃ」
「まぁ 懐かしいですねぇ」
しーちゃんのピアノを聞きながら若い頃の二人の思い出に浸っているらしい。
ここは邪魔をしないようにBGMに徹するか…と、ピアノを弾き続けるしーちゃん。

「オペラ座って あの『オペラ座の怪人』の舞台?」
「そうですよ さっちゃんはレコードが お気に入りだったわねぇ」
「うん いいなぁ 僕も本物見てみたいなぁ お爺ちゃん 今度連れて行ってよ」
「そうじゃなぁ…」
そんあ会話をしていると、しーちゃんの演奏していた曲調が変わる。

ジャッジャッジャッジャー ジャジジャジャーン
聞きなれた『オペラ座の怪人』のメインテーマだった。
「すごーい しーちゃんそれも弾けるんだ」
閉じていた目を開けてしーちゃんを見つめる。

「さっちゃんなら歌えるんじゃない?」
ジャラン ジャランとイントロ部分を繰り返し。
「ええー 覚えてはいるけど 歌ったこと無いよぉ」
「聞きたいよねぇ? お爺ちゃん」
「そうじゃのう さっちゃんや 歌ってみておくれ」
本日の主役に言われてしまえば断れない。
「うー… 音外しても笑わないでね?」

しーちゃんが再度イントロ部分から弾き始める。
「…In sleep he sang to me, in dreams he came…(夢の中で彼が来て私に歌った)」
ヒロインのパートは声変わり前の僕にも高くて難しいなぁっと歌っていると
「Sing once again with me our strange duet…(私たちの奇妙なデュエットをもう一度歌う)」
ファントムのパートをしーちゃんが歌いだしびっくりする僕。
しーちゃんは鼻歌で子守唄を歌ってくれていたがこんな風にしっかり歌ってくれるのは珍しく。
お爺ちゃんお婆ちゃんはもしかしたら初めて聞くのかもしれない。
目を閉じて音に酔っていた二人が目を開けて僕たち二人の合唱を聞いている。
「…He's there the Phantom of the Opera(彼は夢の中のオペラ座の怪人)
 ah ah ah------ッ」
最後の高音を歌い上げるとお爺ちゃんとお婆ちゃんが拍手してくれた。

「はぁ… 音 高いよぉ」
高音を出して枯れそうな喉をお婆ちゃんが淹れてくれた紅茶で潤おす。
しーちゃんもピアノをやめて残りのケーキを食べて。
「すごいよ さっちゃん まだソプラノ歌えるね もぐもぐ」
「しーちゃんの歌声の方がびっくりだよ ね お爺ちゃん お婆ちゃん」
と二人に同意を求める。
「しーちゃんが歌ってるところなんて 何年ぶりじゃろう? のう 婆さん」
「小学校の発表会以来かしらねぇ?」
「そうじゃなぁ 家ではわしらには聞かせてくれんからのう しーちゃんはいけずじゃな
 こんないい歌声を内緒にしとくなんてのう」
「僕は毎晩聴いてるよー」
しーちゃんが褒められると自分のことのように嬉しくて毎晩その歌声を独占してることを自慢げに笑う。

「鼻歌ばっかりでしょ…」
コツンと僕のおでこを突ついて
恥ずかしそうにしているしーちゃん。

「二人のおかげで『オペラ座』を満喫できたわい しーちゃん わしはそろそろ布団に行くが ヴァイオリンで子守唄を頼もうかの」
また ほっほっほと笑いながらお爺ちゃんが席を立つ。
僕も寄り添ってお爺ちゃんの寝室に向かう。

「おやすみお爺ちゃん」
お爺ちゃんを見送りながらヴァイオリンの用意をするしーちゃん。

お爺ちゃんの部屋に布団を敷いてあげ横になったおじいちゃんが来い来いっと手招きをするので一緒に布団に入る。
しーちゃんの夜想曲風なヴァイオリンが優しく聞こえてくる。

「今日は嬉しいことだらけで 興奮してまだ眠くなりそうにないんじゃ さっちゃん 少し爺ちゃんの話に付き合っておくれ」
「うん いいよ 眠るまで一緒にいてあげる」
しーちゃんとは違うがお爺ちゃんの温もりも気持ちが良い。

「さっちゃんは しーちゃんのこと 好きかい?」
「うん 大好きだよ なんで?」
今に始まったことでもないのに突然訊いてくるお爺ちゃんに首を傾げる。
「そうか そうか… でも そのせいで 辛い思いもしとるんじゃろ?」
「……」
お爺ちゃんには話していないけど二人の関係のこととか学校でのしーちゃんの行動とか悩みがあるのは確かで…

「さっきのしーちゃんとさっちゃんの歌を聴いて 確信したんじゃ 二人はここに住んでるんじゃ もったいないのう」
申し訳なさそうに微笑みながら僕の髪を撫でてくれる。
「それ… どういう意味? しーちゃんと僕 ここに居ちゃいけないの?」
お父さんとお母さんに引き離されたことを思い出し哀しくなりつい涙が浮かぶ。
「違うよ さっちゃん 二人は一緒に居るべきじゃ」
僕を安心させるように微笑むお爺ちゃん。

「…お爺ちゃんにも弟がおってな… 昔 日本が大きな戦争をしたのは学校で習ったじゃろ? その時 離れ離れになってのう… 手紙のやりとりはたまにしてるんじゃが …もう 逢えそうにないんじゃ」
淋しそうに微笑むお爺ちゃんに嫌な予感がしてお爺ちゃんの浴衣の袖をぎゅっと掴む。

「さっちゃんとしーちゃんがここに来た時 驚いておったろう? 村の皆が『織原』って苗字で」
こくんと頷く。
学校の友達も、一部の先生を除き大人も子供も、村の皆が『織原』という姓で。
「その大きな戦争が起こる前までは 村中 皆 親戚じゃったんだが 『本家』の跡取り息子を 戦争に召集されないために 家系図や戸籍を焼いてしまったんじゃ。 だから皆 忘れてしまっとるが… …天井をご覧」
お爺ちゃんの視線を追って布団に寝転がったまま天井を見上げる。
「あの人達が『織原』の当主… さっちゃんとしーちゃんの ご先祖様じゃよ」

狭いお爺ちゃんの部屋の四方を壁と天井の角に斜めに見下ろしてくるように白黒写真がズラリと掛けられている。
「本当はこんな狭い部屋じゃなく ちゃんと居間に並べてあげなきゃいけんのじゃけどな… 爺ちゃんの所為でこんなところに 隠すようにしか置いておけないんじゃ…」
「お爺ちゃんの所為…?」
ご先祖様の写真を見上げたままお爺ちゃんが言う。
「戦争に行かないように… 『本家』の名を捨てたのは爺ちゃんなんじゃ… 先祖代々の屋敷も分家の叔父さんに譲って… 一番山奥のここに隠れるように住んで…」
お爺ちゃんは苦しそうに顔を歪める。
「お爺ちゃん…」

「こうやってご先祖様に見てられるとな わしは仲間に入れてもらえるか 心配になってしまうんじゃ…」
「…仲間…?」
また嫌な感じがしてお爺ちゃんにしがみつく。
それに気づいたのかお爺ちゃんが淋しそうに笑う。
「ごめんなぁ さっちゃん… しーちゃんとさっちゃんがもっと大きくなって 爺ちゃんも婆さんも居なくても暮らしていけるくらいまで 一緒に居てやりたかったんだがのう」
「…やだ お爺ちゃん… ぅ…」
お爺ちゃんの言おうとしている意味が分かり我慢しようとしても涙が出てしまう。
聞こえてくるしーちゃんのヴァイオリンも優しい音なのにどこか悲しげに聴こえてしまう。

「戦争で『本家』が無くなる前まで… 昔からこの村は『織原』の血を守るため 結婚はその血が近ければ近いほど良いとされておった わしには弟がおるが… さっちゃんとしーちゃんを見てると 昔の自分たちのようで懐かしい気持ちになるんじゃ」
泣いてるのがしーちゃんに聞こえないように口を抑えて嗚咽を殺しながらコクコクと頷く。
「その頃だったら しーちゃんもさっちゃんも ここで… 日本で暮らしていても 辛いことは少なかっただろうが 今の日本は… 二人には辛いのう」
なでなでと僕をあやしてくれるお爺ちゃんに止めようとしても涙が溢れる。

「さっちゃん 爺ちゃんの机の引き出しに入っとる 文箱を取ってくれんか?」
「…うん」
布団から起き上がり涙を拭うと指示された場所から文箱を取り出す。

「中身をさっちゃんに預けるから 大事に持っとってくれんかのう」
「…開けていい…?」
カタンと蓋を外すと英語で書かれた手紙と書類、難しい漢字で書かれた書類が入っていた。

それを一つずつ丁寧に取り出しながら、お爺ちゃんが説明していく。
「これは爺ちゃんの弟の手紙じゃ 爺ちゃんの居なくなった後の 婆さんとしーちゃんとさっちゃんのことを頼んであるんじゃ… これは『織原』の『本家』の土地や財産を 爺ちゃんが死んだらしーちゃんとさっちゃんが 半分ずつ相続するための書類じゃ こっちがその財産を『村に売る』という書類じゃ そのお金で爺ちゃんの弟のところへ… イギリスに行っておいで しーちゃんとあのテディベアと三人でな」
僕は難しい書類をちゃんと覚えるようにしっかり話を聞いていた。
「イギリス…?」
「しーちゃんの音楽の才能も さっちゃんの音楽と柔道も こんな狭い村ではもったいないもんじゃ イギリスに行ったら高校できちんと 学べるように学校のことも頼んである…」
英語で書かれたパンフレットは校舎や制服だろうか学校の写真が載っていた。

全部の書類を説明し終えると文箱に大切そうにしまって。
「婆さんには爺ちゃんから話してある だから遠慮なく 村を出て イギリスで学んでおいで」
「…うん」
「ちなみにこれは しーちゃんとさっちゃんが 中学を卒業してからの話じゃったんじゃが すまんのう… 爺ちゃん そこまで さっちゃん達の傍に居てやれんのじゃ… 中学の卒業式の日まで…婆さんとしーちゃんに内緒だぞ?」
「お爺ちゃん… お爺ちゃん… うっく…」
また涙が溢れて止まらなくなる。

十数分かお爺ちゃんに抱きついて耳優しいお爺ちゃんの
「いい子 いい子…」
と言う声と 悲しく響くしーちゃんのヴァイオリンを聴きながら、ようやく涙が止まった僕を最後まで撫でてくれていた。
「うん… これはちゃんと預かっておくね」
ぎゅっと文箱を抱きしめて。
「ありがとうな さっちゃん さっちゃんにばっかり重たい秘密を話してしもうて」
「ううん 大丈夫…」
本当はすごく辛いけどお爺ちゃんに笑顔を覚えていて欲しいからお爺ちゃんの前ではもう泣かないぞっと心で決意して。

「さぁ もう夜も遅い しーちゃんも弾き続けで疲れとるじゃろうし おやすみなさいじゃ」
「うん…」
お爺ちゃんの布団から出て
「ちょっと待ってね…?」
お爺ちゃんの部屋を出てしーちゃんにお爺ちゃん寝たよと嘘をつき演奏お疲れ様と労って。
自分の部屋からあのテディベアを連れて来てお爺ちゃんの部屋に戻る。

「はい くまちゃん お爺ちゃんと一緒に寝かせて?」
「おや いいのかい? 昔はさっちゃんはこの子がおらんと 泣いて泣いて大変じゃったのにのう」
そうは言いつつも嬉しそうにテディベアを受け取るお爺ちゃん。

「この子の仲間もイギリスにおるんじゃよ どうか仲間に戻してあげておくれ…」
「うん… ちゃんと連れて行くよ」
「ありがとうな さっちゃん …おやすみ」
「おやすみなさい お爺ちゃん」
懐かしそうにテディベアを抱きしめるお爺ちゃんに挨拶をしてしーちゃんの待つ寝室に向かう。

「お前も皆から仲間はずれになってしもうたのう わしもお前も仲間に入れてもらえるといいのう…」
テディベアを抱いたまま天井から見下ろす写真たちを見つめる。





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