番外編 第二話
「新緑」




「はぁ…」
影楼の裏の渓谷で時雨と花見をした桜の木の下でお父さんと並んで座り込む咲也。
既に桜の花はなく瑞々しい葉が青々と茂り春風に揺れている。
ぼーっとそれを眺めながら考え事をしていると点々とぶら下がるさくらんぼが目にとまる。
『桜の木のさくらんぼって美味しいのかな?』
ふっと
『これが食べられるならいっぱいチェリーパイが作れそう』
と、思いたちスクっと立ち上がると軽々と桜の木に登っていく。
立っていても安定の良さそうな太い枝まで登ると目の前のさくらんぼに手をやる。
赤黒く熟れた物と佐藤錦のような見慣れたピンクのさくらんぼが目の前にたわわに実っている。
『どっちが美味しいかな』
プチプチとさくらんぼをもぎ取り口にしてみる。
『赤黒いほうが甘いんだ… でもチェリータルトは無理かなぁ』
収穫を諦めて木から降りようとした時
裏口から二人の男娼が出てくる。
「よー お父さん 元気かぁ?」
「きゅぅ」
お父さんの頭を撫でながらその隣に腰掛けタバコに火をつける男娼たちは咲也よりは年上に見えるがまだ未成年なのは確かで。
『隠れてこっそりタバコかぁ
 ヤニ臭くなるから大人組以外は禁止なのに』
優等生と言われている咲也に見られたら気まずくなるだろうと木から降りるのをやめ隠れていることにした。

しばらくタバコをふかしながらたあいのない話をしている二人を見下ろしていると
「…ちゅ」
と、二人がキスをした。
「…バァカ 急に何してんの」
「いいじゃん 別に …ちゅ」
じゃれあうようにキスを続ける二人に一瞬驚いた咲也だが
『…まぁ 居るよね 僕と時雨みたいな関係の子…』
流石に見ているのは気が引けて目線を逸らそうとした時
「きゅぅ」
と、お父さんが咲也を見上げながら鳴く。
その声に相手より小柄で見上げるようにキスをしていた方の子が目を開け咲也と目が合ってしまった。
『やば…』
慌てるかな?
恥ずかしがるかな?
と、とりあえず気まずい空気になるのを焦っていた咲也にキスをした態勢のままのその子が声をかける。
「あれぇ 咲也じゃん そんなとこで何してんの?」
あまりに普通のことのように気にもとめていない声に逆に驚く。
相手の子もその子の視線を追い振り向き咲也を見上げる。
「時雨と隠れんぼでもして……」
「毛虫に刺され……」
二人が語尾まで発せずにポカーンと口を開けて咲也を見上げている。
「…?…」
その様子に何だろうと思っていると
「咲也… お前 履いてな…」
その言葉に真っ赤になりながらバッと着物の前合わせを両手で押さえ膝を内股にする。
「あ」
と、咲也の声。
「あ」
と、二人の声。
「わああああああーーッ」

「…あたたた」
「すみません…」
「木から手を離すなよー」
「すみません…」
「とりあえず… どけ」
「すみません…」
落下した咲也を庇った二人を下敷きに三人で地面に転がっていた。

「咲也は売れっ子なんだから怪我したらどうすんだよ」
「すいません…」
「…で? 何してたんだ?」
再びタバコをふかす二人と並んでお父さんを抱っこしながら座る咲也。
「…桜の木のさくらんぼ食べれるならチェリーパイがいっぱい作れるかと…」
正直に答える咲也に二人が笑う。
「子供の頃食ったことあるけど無理だろー」
「やっぱ咲也はお坊ちゃまだなぁ」
「はぁ…」
二人の様子に
『やっぱり僕ってそう見られてるんだなぁ』
と、俯く。

「でも何か元気なくね?」
咲也の隣に座っていた方の子にポンポンっと背中を軽く叩かれる。
「なんか悩み事か?」
ズバリ言い当てられて頷く咲也。
「時雨に話せばいいのに
 …って時雨が悩みの種か 咲也の場合」
これまたズバリ。
「うー… なんでそんなに分かるんですかぁ」
むーっと拗ねるように二人を見る。
「まぁ 場数踏んでるからなぁ」
「聞くだけくらいはしたげるよ?」
二人のさっきの様子から
『この二人なら恋人同士だし話せる…かなぁ』
と、少し考える。

時雨と『証』を交換したこと。
咲也にとってそれは嬉しい。
しかし時雨は自分と違い男娼であることに誇りを持っている。
その時雨の商品とも言える身体に痕を付けてしまったこと。
しかも時雨のシャツを着ていても見えるような位置に。
時雨は本当に後悔しないだろうか…
そんな風に考えてしまう。
そしていくら『証』があろうとも時雨がお客様に… 他の男と寝ていること。
それが苦しいとポツポツと打ち明けていく。

「なんだよそれー 悩みじゃなくて『惚気』じゃん」
「ったぁく なんだと思えば」
咲也の話を聞いた二人が軽く笑う。
「…だって… 苦しいんですよー…」
しょぼんと俯きお父さんを見つめる咲也。
「きゅぅ」
小さく鳴いて咲也を慰めるようにお父さんが咲也の顎や頬を舐めてくる。
「まぁ そりゃ時雨には相談できねぇよな」
「ここが遊郭のうちは解決しない悩みだなぁ」
ふーっとタバコの煙を吐いて携帯灰皿に押し付け火を消しながら二人がヒソヒソと話す。
「じゃぁさ こう考えてみたらどうだ?」
「え?」
問い返した途端、隣に座っていた子が咲也に抱きつき地面に押し倒される。
「…え?」
『えええ? 二人は恋人同士じゃないの? 恋人の見てる前でこんな…っ』
押し倒されたことより座ったままこちらを見ている子のことを気遣ってしまう。
押し倒してきた子が咲也の耳に舌を這わせる。
「やめ…っ」
「男娼ってのはな 例え好きな相手が見ていようが他の男を抱くし抱かれる
 そういう覚悟が咲也には足りねぇんだよ」
座ったままの子がタバコふかしながらまたなんでもないように言う。
「その『証』とやらを交換したところで 咲也だって他の客に抱かれたんだろ?
 時雨はそれを妬いたり苦しがってねぇと思うか?」
咲也の耳元で囁きながら咲也の着物の襟合わせを崩し『証』を露わにされる。
「へぇ… これが『証』ねぇ」
確かに二人が言うとおり、咲也も客を取っていた。
でも咲也の客は時雨が自分を乱暴な客から守ってきてくれたおかげで
『ここには触れないで』
と、頼めば『証』には触らないでいてくれた。
そのくらい咲也にとって『証』は大事なものだった。
その事も打ち明けていたのに…
「そーんなお優しい奴ばっかりじゃねえって知っておきな」
耳元でそう言うとゆっくりと首筋を辿りながら舌が降りてくる。
「やだっ や…っ だめぇ!」
咲也が渾身の力で腕を突っ張らせ肩を押すが背中まで抱きしめられている身体は離れない。
『証』に触れられてしまうっと、涙目で覚悟した瞬間
「何やってんだ! 咲也から離れろ!」
と、時雨の怒鳴り声がしバタバタと走ってくる足音がする。
「やっべ…」
その声に咲也を抱いていた子がパッと離れる。
ホッと息を吐き時雨がこちらに向かって走ってくる姿に目を向ける。

「な…何もしてねぇよ」
「ちょっとショック療法を…」
言い訳しながら逃げようとする二人を咲也も庇う。
「本当になんでもないんだ…
 僕から話すから二人とも行ってください」
そんな言葉で落ち着くわけもない時雨が咲也を抱きしめたまま二人をジロリと睨んでいる。
「玄関の脇の棚に消臭スプレーが入ってますから タバコの匂いちゃんと消してくださいね」
と、二人の背中に声をかける咲也。

時雨に二人に『証』について相談していたことを話す。
時雨の身体に痕をつけてしまったこと。
ずっと時雨を傷つけないようにしてきたのに…
そんなことを横に座る時雨の目を見て話せるわけもなく、再びお父さんを抱っこして撫でるふりをして俯きながら。
「馬鹿だなあ…咲也」
時雨は苦笑いをしながらふうっと息を吐く。
―――やはりこういうことで悩むのは咲也らしいというか。
時雨は咲也の頭をクシャリと撫でて
「何でそんなこと気にする必要があるのさ、そりゃ痛かったよ」
なおもニシシと笑いながら言う。
「僕は嬉しいんだよ。誰かに愛されている形がここにあることが。あの時言ったことに違いはない、心の底からそう思ってるよ」


「時雨…」
右隣に座っている時雨の首には、まだかさぶたが剥がれたばかりで皮膚が薄く時雨の中の赤を表すかのように見える。
自分の鎖骨にも鏡で見ると同じようにまだ赤々とした『証』がある。
「…誰かに指摘されたりしない?」
自分と違って服から見えてしまう時雨の『証』は付けた時に思ったとおり時雨を色っぽく見せている。
それが自分だけならいいのに…
そんな風に思ってしまうことも打ち明ける。
(
「そりゃね…」
時雨は困ったように頭をぽりぽりと掻く。
こんなに目立つ『証』だ。
何も言われないはずがない。
「毎回毎回お客様には尋ねられるし、その度にいろんな目で見られたりするさ、あ、シャワー室で澪に見られた時はあいつすごい顔してたな…」
ぽつぽつと独り言のように語る時雨。
「でもさ、それが何だって言うんだい?」
(

「……」
時雨にとっては気にもとめない、大したことのないものなのかと思うと急に悲しくなってくる。
『証』にこだわっているのは自分だけなのかも…
時雨にそんな顔を見せたら思っていることを見透かされそうでお父さんをぎゅっと抱きしめ顔を隠す。
『なんだって言うんだい?』
その答えを今の咲也には分からなかった。

「僕は、そんな外聞で咲也への想いが変わるほど半端じゃないよ、咲也だってそうだろ?」
時雨は優しげな表情で咲也を見つめる。
「言いたい奴には言わせておけばいい、後ろ指差されても、僕との『証』がそこにあるなら気にならないだろ?」

「…うん」
お父さんから顔を上げると時雨の穏やかな笑顔。
今までの時雨とは違う、接客用の笑顔ではなく、自分と居る時にだけ見せるその笑顔につい見とれてしまう。
そっとお父さんを腕の中から離し
『向こうで遊んでおいで』
と、言うように軽く頭を撫でる。
「きゅぅ」
と、一声鳴くと犬小屋に戻って伏せをしながらこっちを見ている。
お父さんの視線が気にならないといえば嘘になるが、今は時雨のその笑顔を独占したくて時雨に抱きつく。
「『証』を付けた後、お互い忙しかったから… 寂しかったからかも… そんな風に思っちゃうのは僕の悪い癖だね ごめんね時雨」

時雨も甘えてくる咲也を柔らかく受け止めて、唇を重ねる。
ほんの軽いキスだが、時雨には痺れるような快感をもたらしていた。
「咲也、愛してるから…」

「ん…」
唇に淡く残る、それでも確かな時雨のぬくもり。
囁かれる自分の名前と愛の言葉。
それだけで十分心は満たされていく。
「愛してる… 時雨」
抱きしめ合う二人を春風が優しく包んでいった。


時雨と二人で玄関に着くと、脇に置かれた棚から消臭スプレーを取り出す咲也。
シュッシュッとそれを着物にふりかけていると見世に居たさっきの二人が咲也に声をかける。
「咲也… それ… もしかして…
 お父さん用…なのか?」
「そうですけど?」
ケロリとした声で答える。
『気を遣ってくれたんだと思ったのに…っ』
ガックリうなだれてまるで『orz』のポーズになる二人を、きょとんと見つめながら
『ペット・タバコ用』
と、書かれたスプレーをもうひと吹きふりかける咲也だった。




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