第三十四話

「雪の中で」





深々と降り積もっていく雪の中
咲也は寒さのせいか、それとも怖れか
身体を丸めて震えている。
「……馬鹿だよ……ほんと……咲也」
時雨は咲也の肩を抱きながら、しばらく黙り混む。

「時雨っ、大体しめてやったからずらかるぞ!」
先ほどまで咲也を襲っていた連中に『お礼』を見舞い
柚槻が二人のもとにバイクで駆けつけてくる。
道路で伸びている連中と、大破した車は…
遊廓まで逃げればなんとかなるだろう。
半ば放心状態の咲也を柚槻のすぐ後ろに
挟むように時雨が乗り込めば
颯爽とバイクは走り去っていく。

「……ごめんなさい…」
時雨の言葉にうなだれる。
でもこうして探しに来てくれたということは
『帰って良い』
と、いうことだ。
帰れる場所があることに感謝しながら柚槻のバイクに乗る。
柚槻の背中と時雨の腕と胸の暖かさを
胸と背中に感じながらまた涙がこみ上げてくる。
それは恐怖からではなく
帰りを待っていてくれるであろう旦那や女将
探しに来てくれた柚槻と時雨に
感謝して溢れてくる暖かい涙だった。

咲也を探している間に
かなりの距離を走っていたようだ。
まだ遊廓までは時間がかかるだろう。
柚槻は、サービスエリアの標識を見つけるなり
ハンドルを切り中へとバイクを走らせていく。
そこは小さなサービスエリアで
自販機のコーナーとトイレがあるだけで
人気もないように見えた。

「この渋滞だ、誰も追っかけてきやしねぇだろ。
 ちょっと休憩、疲れた」
柚槻はそういうと胸ポケットから普段はあまり目にしない
紙巻きタバコを手に喫煙所に向かおうとする。
「…ああ」
ふと柚槻は立ち止まる。
「時雨〜、咲也〜
 寒みぃからなんか暖かいもんでも飲んでこい。
 それと」
時雨の手に千円札を渡して。
「…今 言えることがあるなら言っておけ
 遊郭に帰ってからじゃ言えねぇこともあるだろ」
と、小声で時雨に耳打ちし、喫煙所に向かっていく。
「…はい 行こう咲也」

しばらく走ると雪の夜風に耳や指先が冷えて
暖をとるように柚槻の背中に擦り寄る。
サービスエリアに着けば柚槻が時雨にお金を持たせて
自分は喫煙所に行ってしまった。
時雨と一緒に自販機コーナーに行き
温かい缶コーヒーを買って手指を暖めるように手の中で転がす。
時雨はこんな時でも甘いものにこだわりを見せて
ホットドリンクの中でも一番甘いものをじっくりと選んでいて
その姿になんだか笑みがこぼれてしまう。

―――あ… 笑える…
どん底の気分で笑うことなんて
もう出来ないと思っていたのに…
やっぱり時雨から笑顔を分けて
もらってるんだなと感じる。

甘いホットコーヒーを啜れば
じんわりと体の芯が暖まるのを感じる。
息も真っ白になり、そのまま淡く消えていく。
「咲也…」
咲也が笑っている。
つられて時雨も照れくさく笑ってしまう。
そんな状況ではないのに
なぜだか安心感で一杯だった。
「咲也…、ほんとに馬鹿だよ…
 逃げる場所なんてありはしないのにさ」
時雨は怒るようでもなく咲也に語りかける。

熱いコーヒーをふぅふぅと冷ましながら飲む。
時雨の怒るでもない口調に上目遣いに時雨を見つめて。
「ん… あのまま部屋に居たら
 お金を用意した二宮のおじさまが…
 来るんじゃないかって…怖くて…
 ……『御法度』だって…
 判ってたけど…逃げたくて…」
いつものように言葉を探すようにゆっくりと話す。

「ごめん、教えてなかったことがあるんだ」
申し訳なさそうに時雨は咲也に伝える。
「いつの間にか咲也もさ
 『売れっ子』の立場になってたみたいでさ…
 身請けには、同意がいるんだ」
頬を指でかきながら続ける。
「つまりは咲也が嫌ならいつでも拒否できるんだよ」

「え…」
時雨の言葉にきょとんとして
もう少しで缶コーヒーを取り落としそうになる。
「……ぇぇえええええー!?」
つまりさっきまでの自分の行動は
全部無駄だったと気付かされると
大きな声で不満そうに顔をしかめる。

「まさか、咲也が逃げるなんて
 思っても見なかったからさ…
 こっちにも負い目はあるけど」
時雨は真面目な顔をして。
「でも、それでも逃げることは
許されないと思ってる…何があっても」
時雨は咲也の行為を咎める。

「…うん なんだぁ…逃げなくて良かったんだ
 はぁ 川の中とか死ぬほど寒かったのに…」
苦笑いしながらまた涙が溢れて零れる。
疲れているのだろうか涙腺がゆるい。
「だったら… ずっと…どこにも行かない…のに…
 ずっと…時雨と居る… ぐす…」
涙と寒さで鼻の頭を赤くして
泣き笑いで時雨を見つめる。

「ほんと、咲也っておとなしそうに見えて
 突拍子もないことをするんだから…はぁ」
呆れたように薄く笑い
また泣いて、それでも笑う咲也を撫でて。
「泣くなよ…こっちまで…なんか…うん…」
時雨も咲也の顔を見るともらい泣きしそうになる。

「ん… ごめんなさい…時雨…」
二人でべそをかきながら笑い合う。
「壇上で言った『アレ』 取り消すね…
 お別れなんかしない…」
飲み終わった空き缶をゴミ箱に捨てて
温まった手のひらで時雨の両頬を包むように触れて。
「ありがとうの『あ』じゃなくて
 愛してるの『あ』だよ…」

「そっか…、うん、知ってたよ」
時雨も強がりを見せて大人びてみせる。
頬に触れた手がひんやり冷たくて
でも咲也の温もりは十分に感じていた。
「ああ、咲也」
時雨は思い立ったように口を開く。
「咲也にまだ教えてないことがあるんだ」

「まだあるの?」
はぁっとため息をついて。
「ちゃんと教えてくれないと
 また『突拍子もないこと』しちゃうよ?」
温まった手のひらよりも暖かい時雨の頬を
ふにふにといじって。
「なぁに? 全部教えて?」

「うん、教えるっていってもさ
 僕でさえいつこのことを知ったか
 分からないんだ」
時雨は細々とどこか気恥ずかしそうにする。
「咲也に出会った時かもしれないし
 一緒に別荘に泊まった時かもしれないし
 たった今かもしれない」

「え…? 何それ?」
時雨の曖昧な言葉に不思議そうな顔をして
時雨の碧眼を覗き込むように見つめる。

「まあ、いつ知ったかなんてどうでもいい
 どうでもいいことなんだよ」
時雨はずいっと咲也に近づいて
先ほど咲也がしたように頬を冷たい手で包む。
「僕は……」

二人でお互いの頬を触れ合うような格好になって…。
なぜだか急に照れくさくなり目を伏せる。
「…うん?」
時雨の言葉の続きを待つ。

「僕は咲也が好きだ」
凛とした瞳で咲也に伝える。
時雨の口から放たれる人生で初めての心からの言葉。
「好きだ。ずっとこれからも。だから、逃げるな。
 僕もずっと寄り添ってあげるから」

「…っ」
時雨の言葉にビクッと全身を緊張させ
時雨の頬を触れたまま金縛りのように動けなくなる。
そして言葉の意味を理解すると
一気にカァァっと頬を紅潮させ
止まっていた涙がまたボロボロと零れる。
「…し…ぐれ… うん… もう逃げない…
 ずっと…そばに居て…」
頬を触っていた手を時雨の首に回し抱きつく。

「うん、離すもんか…絶対に離さない」
時雨は咲也を強く抱き締める。
耳まで真っ赤になった咲也を優しく撫でる。
時雨はなぜだかふわふわした気持ちで
言い様のない解放感に溢れていた。

時雨の言葉が嬉しくて涙が零れる。
時雨の肩ごしに音もなく降り積もる雪を
しばらくぼんやりと眺める。
嬉しさで忘れかけていた『脱走』の理由を思い出し
不安そうに時雨に抱きつく腕に力を込める。
「…時雨は 僕のこと知っても怖くないの…?」

咲也の声がまた不安の入り交じるものに変わる。
きっと時雨を不幸にしてしまうのかもしれないと。
時雨は優しく咲也に言う。
「咲也の運命が…僕を不幸にしてしまうのかな?
 ううん…きっとそれでも大丈夫さ。
 『咲也がここに居ること』が何よりの幸福じゃないか」
咲也の背中をさする時雨の顔はこの上なく穏やかで。
「咲也の運命を受け入れることさえ、僕には十分すぎる」

時雨の言葉が心に響く。
父さまが死んだ日から我慢してきた分の涙を
全て流すかのようにボロボロと
大粒の涙を零し時雨の肩に顔をうずめて泣きじゃくる。
「時雨… しぐ… 好き…に
 なってくれて… ありがと…」
泣きながらそれだけ言うと
「うわぁぁ…ぁぁ…」
大きな声を上げ泣き崩れる。

「いいんだ、お礼を言いたいのはこっちの方だよ、咲也。
 こんな僕を好きになってくれてありがとう」
ひしと抱き締める時雨の頬にも一筋の涙が伝う。
こんなに熱い涙を流すのは時雨は初めてだった。

しんしんと降り続ける雪。
真っ白な景色の中で互いの体温で
暖をとるように抱きしめ合っていると
世界に二人しかいないような錯覚を感じる。
少し恥ずかしそうに顔を上げて涙目で時雨を見つめて。
「時雨… 早く帰って…時雨を感じたい…」
本当は今にもキスしたいくらい
時雨を欲しているのを我慢して告げる。

「ん、そだね。はやく帰ってみんなに謝らなくちゃ」
遊郭にいる旦那や女将、一条様に
しっかりと無事を報告しなくてはいけない。
その後は色々やらないといけないことがたくさんあるだろう
それでも咲也を感じていたい。
「ほら、柚槻さんが来たよ
 早く帰る準備をしなきゃ」
ふと咲也の後方、柚槻がゆったりと喫煙所から帰ってくる。
柚槻は二人が抱き合っているのを見るなり
優しく微笑み小さく親指をたてて見せる。
時雨はうんうんと頷き咲也とともにバイクへと向かう。
「帰ろう、僕たちの影楼に」

「うん…」
まだ溢れそうな涙を抑えるように
目を擦りにっこりと笑ってみせる。
時雨に手を引かれて柚槻の待つバイクに乗り込む。
「柚ちゃんも… ありがと…」
背中につかまりながら探しに来てくれたことを感謝する。
背後から時雨がつかまってきて
二人に挟まれてそのぬくもりに気持ちよさそうに微笑む。

「おっし、いくぜ時雨、咲也。
 とばしていくからな」
エンジンを豪快に吹かして柚槻は雪道を駆けていく。
―――やるじゃねぇの、時雨…。
ここまで出張ってきた甲斐もあるってもんだ。
柚槻は二人のことを想うと、ヘルメットの中で微笑む。
刺すような風雪も今は
暖かげな二人の体温で気にならないほどだ。

長く暗い道のりを引き返して
ようやく遊郭『影楼』につく頃には、雪は止んでいた。
「はぁ〜、疲れた疲れた…
 もう俺は寝るからな。
 ちゃんと旦那に謝っとけよ」
柚槻は手をヒラヒラと振り自分の部屋へと戻っていく。
時雨と咲也は手を繋ぎお互いの顔を見合い
頬を染めながら玄関へと歩んでいく。

―――「ただいま」







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