第三十三話
「逃亡」
―――咲也が居ない。
柚槻の報告を受けて咲也が居たはずの
咲也の部屋に向かう。
「俺のお客が寝ちまったんで
咲也の様子でも見に行ってやろうと思ったら…
この有様ですよ …くそっ」
悔しそうに言いながら咲也の部屋の障子を開けると
廊下で見張りをしていた用心棒が
3人折り重なるように倒れていて。
宴の席で咲也が着ていた晴れ着が
乱雑に脱ぎ捨てられている。
「おいっ 大丈夫か?」
柚槻が倒れている用心棒の頬を
ペチペチ叩いて起こす。
「ぅ… 痛ててて…
あ 柚槻さん 咲也君が…」
打ち付けた後頭部や蹴られた鳩尾を抑えながら
用心棒3人が目を覚ます。
複数犯の誘拐にも備えた咲也の格闘技は特殊なもので
止めきれなかったと話す。
「すみません 旦那様…」
「いや 仕方がない。
今は騒ぎを大きくしないことだ」
咲也の部屋の中で事を進めようと
障子を閉めようとした手を
この状況に似合わぬ明るい声が止める。
「あっれー 咲也ちゃんはー?」
「僕らのお客様酔いつぶれちゃったから来てみましたぁ」
まずい奴らに知られてしまった…
と、顔に出しながら旦那が渋々二人も加えさせる。
「逃げる程…嫌だった…のかな…?」
時雨がか細い声で誰にとなく問う。
「もしかしてー 咲也ちゃんはー」
「咲也 知らないんじゃないのぉ?」
二人が手がかりでも探すように
咲也の部屋をウロウロしながら声を揃える。
「咲也ちゃんは大人組と同じ『太夫』扱いだからー
寝る客を選べるのはもちろんー」
「身請けだって自分が同意しなきゃ
いくらお金を積まれても成立しないって『ルール』だってぇ」
「時雨 ちゃんと咲也ちゃんに教えたのー?」
「…あ!」
時雨の声に皆が時雨に注目する。
「…教えて…ない…」
「まさか咲也を身請けするような客が
現れるとも思わなかったから
確認していなかった私たちにも落ち度はあるが…」
旦那が頭痛を抑えるように額に手を当てる。
「私もずっと咲也の世話を焼いてきたのに
そんな基本的なことを教えていませんでしたわ」
女将も旦那と顔を見合わせる。
失態だった。
ちゃんと教えておくべきことを教えなかったのは
自分に咎があるだろう。
しかし、それを差し引いたとしても咲也は
この場所で最も重い罪を犯した。
『脱走』
自分の存在さえも商品として売り出す身に
そのようなことはあってはならない。
たとえどんな災難が降りかかろうが
ましてや闇にどっぷり浸かった人間に
逃げる場所なんか存在しない。
―――あの馬鹿っ…―――
焦りと少しの怒り、時雨の体はもう動き出していた。
「僕 探しに行ってきます!」
居ても立ってもいられず
時雨が飛び出そうとするのを双子が止める。
「時雨 外 雪ー」
「雪降ってるよぉ」
まだ羽織袴姿のままだった時雨を手早く脱がして
どこから持ち出したのか手編み風の
もこもこした毛糸の帽子、セーター、マフラーを纏わせる。
「あったかいでしょー?」
「コートはどっちがかわいいかなぁ?」
まるで時雨を着せ替え人形にして楽しむかのように
ピーコートとダッフルコートを比べる。
「ダッフルコートの方が暖かいかぁ」
「あとコレー
咲也ちゃん見つけたら着せてあげる分ー」
バッグに同じような防寒装備を入れて時雨に持たせる。
「駅までの道とかありふれた所は春陽と秋月に任せる。
時雨は俺と来い。 心当たりを当たるぞ」
時雨が着替えている間に柚槻も着替えてきて居て。
普段の着物姿とは見違えるような
レザーのライダースーツ姿で時雨が出てくるのを待っていた。
「旦那 ナナハン借りるぜ」
「貸すのはいいが事故らないでくれよ?」
前科でもあるのだろうか
旦那と柚槻の間で無言の頷きが交わされる。
「ガキ用のメットねぇから 帽子の上からでちょうどいいか」
カポッとフルフェイスメットを時雨に被らせて。
「走ってる間は声聞こえねぇから
なんかあったら腹叩けよ?
んじゃしっかり掴まってろよ」
ドルルルっと爆音を立ててバイクが走り出す。
「んじゃ 僕らは駅までの道とー」
「駅員さんに聞き込みぃ」
春陽と秋月も外套を着込んで。
「旦那様ー 車借りまーす」
「バイクとか寒くて無理だよねぇ」
「こんな状況だというのにお前たちは飄々としているね」
呆れたように二人を見つめ車の鍵を渡す旦那。
「だってー 咲也ちゃん逃げたってことはー」
「同意しないってことでしょぉ?」
「「身請けは成立しませーん」」
「ってー 早く見つけて教えてあげなきゃ」
「「ねー」」
声を揃えて嬉しそうに笑って手を振って
出かけていく二人を旦那と女将が見送る。
「一条様 大変申し訳ございません
本来なら時雨と咲也を両方買っていただいて
お楽しみいただく晩でございましたのに」
女将が一条様に頭を下げる。
「いやいや 私も早く咲也を見つけてやって欲しい。
それに時雨があんなに感情豊かになったのは
咲也のおかげだと思っているのでね。
私の楽しみは時雨の『成長』を見守ることのようだよ」
時雨の部屋で話し合っていた時の張り詰めた空気はなくなり
咲也さえ見つかれば身請けの問題も解決したようなものだと
安心してタバコに火を点け一服する一条様。
―――約一時間前
「…はぁ はぁ」
振り返ってももう遊郭の明かりは見えない。
吹きすさぶ雪のせいで
足跡が残ってしまうのを誤魔化す為に
遊郭の裏手の小川に入って
水の中を歩いてきた身体は冷え切っていた。
橋の下で雪の積もっていない
土手を見つけて川から上がる。
オレンジの街灯が並ぶ高速道路の
インターまで歩くだけで雪に足を取られ息が上がる。
ヒッチハイクなどテレビの番組でしか
見たことがないけれど
今はそれしか手段がなかった。
東京方面の入口に立って通りかかる車に手を振る。
しかし正月の夜
中学生の子供がヒッチハイクなどしていても
不審がられるのだろう車は全然停まってくれる気配がない。
諦めるわけにもいかないので必死に手を振る。
早くしないとここも見つかってしまうかもしれない
と、いう焦りが手を振るだけではなく
身体を車の前に出させる。
何度もクラクションを鳴らされても
諦めずに乗せてくれる車を探す。
「あっぶねーな!!」
何台目だろうかクラクションだけではなく
窓を開けて怒鳴りつけてくる車が目の前に停まった。
「お願いします! 乗せてください!」
運転席の窓を閉められないように縋り付き
4人乗りのクーペの中にいる3人の男たちに懇願する。
「……」
ヒソヒソと何かを話した後
運転席の男の態度が変わる。
「こんな雪の中ずぶ濡れじゃねぇか。
おら 乗れよ。 東京まででいいのか?」
「…! ありがとうございます!」
開かれたドアに嬉し泣きしそうになる。
狭いクーペの後部座席に
男二人に挟まれるように乗せてもらえた。
車内の暖房の効いた暖かさに
冷え切っていた指先や耳などが
血行を取り戻しジンジンと痛む。
「こんな夜中にまさか家出とかじゃねぇよなぁ?」
「悪いことなら俺たち手伝えねぇよ?」
にやけながら男達が話しかけてくる。
「…家に…帰るんです…」
俯いて小さな声で答える。
俯きながら考える。
―――家には帰れない―――
こんな着の身着のまま飛び出してきた姿で
家に帰れるはずがないのだ。
とすれば行くあてはただ一つ。
自分に遊郭を紹介してくれた人物。
四谷さんのところだ。
事情を話して遊郭で働けなくなったと言えば
新しい稼ぎ場所をいくらでも紹介してくれるだろう…
そんなことを考えていると両脇の男たちが
咲也の濡れた服の上から太ももや肩を撫でてくる。
「こんな濡れたままじゃ風邪ひくぜ?
脱いで乾かせや」
「この辺の都市伝説で峠のボロ旅館が
男を売ってる娼館だって聞いたけど
そこからきたんじゃねぇの?」
「男を売るなんてキモイと思ってたけど
コイツみてぇなのならイケるな」
スベスベと絹のような太ももを撫で
いやらしく咲也を見つめる。
「や… 大丈夫ですから…」
身を縮みこませ濡れた服が男達に触れないように
気を遣うが男達の目的は別のようで…
「東京までまだまだ時間かかりそうだし
乗車賃 身体で払えよ」
両脇の男が咲也の腕を押さえつける。
「や… 離してください…
僕 そんなんじゃ…」
違うと誤魔化してみるが強引に服をまくり上げられ
胸の突起をいじられれば
「んぁ… や…ッぁ」
身体は反応し甘い声をこぼしてしまう。
「うへぇ 声 かーわいいなぁ」
一方その頃…
「時雨。どっか咲也の行きそうな場所
心当たりねぇのか?」
一通り近所を走り回ってから柚槻が時雨に訊ねてくる。
「えっと… 咲也にここを紹介してくれたお父さんの友人の人…
お母さんのところに帰るとしても
どっちも東京だってことくらいしか…」
曖昧な行き先しか思いつかず
途方に暮れていると柚槻の携帯が鳴る。
「あ 柚ちゃんー? あのね
駅までの道に足跡無いし
終電も行っちゃってるし
駅員さんに訊いても子供は来てないってさー」
春陽の声がいつになく不安に緊張しているように聞こえる。
「そうか 分かった
電車じゃねぇなら車だな
タクシー会社あたってみてくれ
俺たちは高速行ってみる」
ちょうど高速道路に架かる橋の上に到着し
眼下にヘッドライトとテールライトの長い列を見下ろす。
「よし…
雪と正月の渋滞でほとんど動いてねぇな
これに賭けるとすっか」
背中の時雨もこくんと頷く。
渋滞の中、2車線の高速道路の真ん中を
車の間を縫うようにバイクを走らせる柚槻。
何百、何千ともある車をひとつひとつ
覗きこんでは咲也の姿を確認する。
防寒装備があるとはいえ
刺すような寒風に時雨も震えながら探していた。
「…見つかんねぇな、やっぱり電車か? くそっ…」
柚槻の顔はヘルメットで隠れてはいるが
焦りが背中越しに伝わって来るのを時雨は感じ取っていた。
渋滞はかなり長いようで、全く進む気配を見せない。
探し出すなら今より他はない
これを逃せばもし咲也が車を拾っていたなら
完全足取りがつかめなくなる。
万にひとつの可能性に賭けて、二人は捜索を続ける。
「……!?」
時雨はふと前方を見やる。
そこには、渋滞の車の中でもぞもぜと動く影。
よく見えないが二人がけの後部座席に
三人が乗っているのが見える。
時雨はポンポンと柚槻の身体を叩き
その方向に指を指す。
「ふぁ… はぁっ あッ ゃだ… んん」
狭い車内では流石の咲也でも手も足も出せず
『乗せてもらえるのなら…』
と、諦めにも似た心境で男達に抱かれる。
「いい声で鳴くじゃねぇか」
「ほら俺らも気持ちよくしてくれよ」
咲也の手を取りジーンズから取り出した屹立を握らせる。
「ん… あッあぁ…」
胸へのしつこい位の愛撫に身体をくねらせながら
男達の屹立を扱いていく。
「見付けたっ!」
バイクを目的の車に近づけて
薄暗い中を確認をすれば
そこには咲也の顔がちらりと見える。
しかもどうやら単に車に乗れただけではなさそうだ。
「ちょっと待ってろ、時雨」
柚槻はバイクから降りるとヘルメットを脱いで
車にこんこんとノックする。
「あ〜、いいっすか?」
突然窓ガラスを叩く音と聞き覚えのある声がする。
ぎゅうっと目を閉じて男達からの
陵辱を受けていた咲也が顔を上げる。
「あん?」
邪魔者の登場に不機嫌そうな声を上げ
窓を開ける運転席の男。
「あの〜、お取り込み中に悪いんですけど
そこの子うちが探してた子なんで
返してもらえますかね?」
柚槻は穏便な口調で話しかけて交渉をする。
時雨も飛び出して咲也の様子を確かめたかったが
こんな所で騒動を起こしては大問題だ。
柚槻もそれを重々承知のことだろう。
「は? 何だてめぇ」
車内から柚槻を見上げるように睨む運転席の男。
「そーそー 『お取り込み中』なんだよねー
邪魔しないでくれる?」
丁寧な態度の柚槻を笑い飛ばし
咲也への手を止めない両脇の男。
「柚ちゃん…っ」
見つかってしまったと焦る気持ちと
この状況から救ってくれるであろう
柚槻の登場に安堵する気持ちが
複雑に入り混じった表情で柚槻を見つめる咲也。
「……いいっすか?
聞こえなかったら『もう一度』だけ言うけど
返してもらえますか?」
柚槻が再度問いかけてみる。
平坦な声の中に、わずかな怒気が含まれているのを
彼らは感じ取れるだろうか。
車内から見えないであろう柚槻の手はフルフルと震えている。
「なに? お兄さんも例の遊郭の人なの?」
「ははは キッモーイ」
柚槻の怒気に気付かない男達があざ笑うように言う。
「…柚ちゃん 大丈夫だから…
東京まで乗せてもらう代わりに…
僕が同意したの… だから…」
『拳は使わないで』と、いう言葉をにごす
柚槻の交渉もむなしく、相手には伝わらない。
咲也がなんとかなだめようとするが
柚槻の耳に届いているか。
柚槻は時雨の方を振り向く。
意外にも薄く笑ってはいたが口をひくつかせて
額には青筋がたっている。
時雨は必死に首をぶんぶん横に降って
柚槻を止めようとするも…
「ふざけんなあああああああっ」
怒号とともに振り上げた拳が窓ガラスを突き破る。
そして膝蹴りが車体を大きく歪ませる。
割れた窓ガラスに腕を突っ込み
ロックを外すと中に居た男の胸ぐらを掴み引きずり出す。
「てめぇ… うちの咲也になにしてくれてやがるんだ、あぁ?」
「うわぁぁぁ!?」
突然窓ガラスを突き破る拳と怒号にひるむ男達。
「柚ちゃん…っ」
焦って止めようとするももう片側の男は引きずり出され
高速道路の路上に投げ飛ばされていた。
乱れた衣服を胸の前で片手で握って車の外に出る。
「柚ちゃん やめて…」
今にも男に殴りかかろうとしている柚槻の腕を掴んで止める。
「『お礼』なら… 僕…自分でするから…」
と、抑揚のない声で言い放つと
無様に路上に転がる男の股間を踵落としで蹴りつける。
「柚槻さん! 落ち着いてっ!」
飛び出した時雨も柚槻を止めようとするが
怒りがおさまるはずもなく。
「下手に出てりゃいい気になりやがって〜!」
車に何十発も拳を浴びせ続ける。
柚槻が手を止める頃には車体はぼろぼろになり
事故でも起きたかのような有り様になる。
はぁはぁと息を整えながら柚槻は怒鳴る。
「咲也ぁ!てめぇどこほっつき歩いてんだ!」
柚槻の怒りの矛先が自分に向かって来た。
「…ごめんなさ…い…」
堪えていた涙がボロボロと零れる。
へたっと雪の積もる路上に
座り込んで泣きじゃくる咲也。
柚槻は咲也の姿に、はあっと溜め息をつく。
「まぁいい、言いたいことは山ほどあるが帰ってからだ
時雨〜!咲也にちゃんと言っとけ
俺はこいつらにきっちり『お礼』しとくからよぉ」
と、柚槻は咲也を襲っていた男達に鉄拳制裁を加えていく。
「は、はいっ」
時雨はびくりとその言葉に反応して咲也の所に駆け寄る。
「咲也…とりあえず寒くない格好に…」
双子からもらった防寒装備を咲也に着せると
抱き抱えるように路肩へと移動する。