第十ニ話 「休暇」
第十二話
「休暇」





昨夜の嵐が嘘のように、暖かな朝日が窓から差し込んでくる。
屏風で仕切られているとはいえ、眩しい朝日に部屋の中は明るくなり、目を覚ます咲也。
腕の中では、疲れきった身体を休ませるように、静かに寝息をたてながら時雨がまだ眠っている。

眠りに落ちる前に『ずっと抱きしめてるから』と約束したので、そのまま時雨が目覚めるまで、一緒に横になっていようと思っていたら。
「咲也… 時雨… 起きてるかい?」
障子の外から旦那の声が聞こえる。
「はい 僕は起きてます… 時雨はまだ…です」
時雨を起こさないように、それでいて障子の向こうの旦那に届くように答える。

「そうか。入っていいかね?」
と、問う旦那の声に仕方なく時雨を離して起き上がり。
「どうぞ…」
と、障子を開ければ、旦那と女将と医師の姿があった。

咲也の和室に入ってくると、旦那と女将と咲也が布団の中で眠る時雨を見守る中、医師が時雨の浴衣を脱がせ、傷の確認をしていく。

咲也が手当した包帯を取って傷の程度を確かめたり、赤く腫れている背中の蹴られた部位が骨折していないかなどを触診していく。

「どうですか? 先生」
女将が尋ねると、一通りの傷の検査を終えて浴衣を元に戻しながら。
「応急処置が的確で早かったようですね。この分なら傷が痕に残ることはないでしょう」
と、答え咲也の方を向く。
「君が手当したのかね?」
「はい…」
「では、君も傷に触れているから一緒に検査をするから。腕を出して」
浴衣の袖をまくり、腕を差し出すと、二の腕をゴムチューブで止められ、肘の内側の血管から採血をされる。

寝ている時雨にも同じように採血して。
「15分ほどで結果が出ますから」
と、旦那と女将に言って二人の血液を持って医務室に向かう医師を見送って。

「時雨は、ずいぶん疲れて眠っているようだね…。採血されても起きないとは」
と、旦那が眠る時雨を覗き込めば、
「ここのところ何か悩みでもあるのか、ずっと不機嫌でしたからね… 今はゆっくり休ませてあげましょう」
と、女将が答える。
「そうだな…。 この傷では接客もできまい。傷が治るまで『病欠』とするか…」
売れっ子の時雨が休んでしまうとなると、予約のお客のキャンセルが大変だな…と旦那は頭を悩ませつつ。

布団で眠る時雨を覗き込んでいた旦那が、今度は咲也の方に向き直って。
「…咲也 お前はしばらく『謹慎』とする」
と、少し厳しい口調で言う。
「…はい…」
俯き返事をする咲也。
時雨が昨夜言っていたように、どんな奴であれ『お客様』であったことは紛れもない事実で。
その『お客様』に手を上げてしまったのだ、このくらいの罰は受ける覚悟で居た。

「期限は時雨の傷が治るまでとする」
と、先の厳しい口調から一転、咲也をからかうように笑いながら、俯いていた髪をくしゃっと撫でてくれる。

「…え?」
『時雨の傷がいつ治るかなんて分かりません』と、口にしようとすると、今度は女将が、
「『病欠』の時雨も、『謹慎』の貴方もここに居させることは出来ません。仕事が出来るまで家に帰させるのがここのルールです。ですから咲也は貴方の家にお帰りなさい。でも、時雨には帰る家がありません。傷が治るまで貴方に責任を持って時雨を預かってもらいます。いいですね?」

「はい…っ」
旦那と女将の『心遣い』の意味がわかって、嬉しそうに笑いながら頷く。
すると旦那が
「こらこら。 一応 皆の手前『謹慎』なのだから、そんなに嬉しそうにするな」
コツンと軽く咲也の頭を叩く。
「はい。すみません」
と、謝っても笑みがこぼれて。

「お待たせしました」
医務室から医師が戻ってきて、二人共陰性だったことを報告してくる。
遊郭ではエイズや梅毒などの性病が流行らないように、全員の男娼がこの医師に定期健診をしてもらている。
昨日の不良たちが変な病気を持っていなかったことが不幸中の幸いだった。

「では時雨が目覚めたら、『病欠』の話をして、荷物をまとめておきなさい。駅まで車で送って行くから昼頃までには済ませるように」
と、二人に…と言っても時雨は寝たままだが、旦那と女将が優しく微笑みかけてから和室をあとにする。
廊下まで出て二人に深く頭を下げて見送ってから、和室に戻ると居ても立っても居られずに、布団で眠る時雨にぎゅぅっと飛びつく。

「ん…ぅ? 咲也…?」
ガバっと覆いかぶさるように咲也の体重を感じれば、流石の時雨も目を覚ます。
「時雨 おはようっ あのね…」
目覚めた時雨にぎゅぅっと抱きついたまま、旦那と女将の粋な計らいを時雨に報告する。

咲也の話を寝起きの頭で聞きながら、うーんと微妙な表情を浮かべる時雨。
「どうしたの…? 嬉しく…ない?」
時雨の反応に心配そうに顔を見上げる。
「咲也の家…行っていいの? 邪魔じゃない?」
時雨は元居た狭いアパートとこの高級遊郭しか『住居』と言うものを知らないので、『咲也の家に行く』ということに遠慮を感じていたようで。

「大丈夫だよ…? 気にしないで」
時雨と二人でゆっくり出来るあてがあるので『大丈夫』と時雨の髪を撫でて。

「でもここからだと… 電車で結構かかるから…、早く荷造りして出かけよう…?」
「ん… 分かった」
時雨は痛む身体を起こし、
「『荷造り』…って 着替えとか?」
修学旅行や、ましてや家族旅行にすら行ったことのない時雨は、何を用意するのか分からず首を傾げる。

「そうだね… 洗濯機あるし…4〜5日分くらいの着替えとパジャマと… お客様用の備品のハブラシとか…かな? 忘れ物あったら…現地で買えばいいし…」
説明するより自分が用意した方が早そうだなっと苦笑いしながら、時雨の部屋に一緒に向かう。

大きめのリュックサックに時雨のシャツやズボン、下着と靴下を畳んで詰めて、昨夜男娼仲間から差し入れされたお菓子の中で電車の中で食べられそうなポッキーやポテチ、飴などのおやつも詰め込む。

時雨の支度を済ませてから和室に戻り、咲也もボストンバックに下着や、普段は着物姿で居るが、ここに売られてきた時に持ってきた私服を詰める。

二人共用意が出来たところでロビーに降りて、咲也はフロントの電話を借りる。

『はい 織原です』
受話器の向こうから懐かしい家政婦さんの声が聞こえる。
「もしもし三田さん…? 咲也です」
『まぁまぁっ 坊ちゃま!? お元気ですか?』
「ご無沙汰してます… はい 元気にしてます… 実は 学校と…仕事のお休みがもらえたんで… 別荘の方に遊びに行きたいと思って… 簡単に掃除をしておいてもらえませんか?」
『大丈夫ですよ 毎週1回は別荘の方もお掃除してありますから すぐお使いになれますよ』
「そうですか ありがとうございます… それと… 学校の友達と一緒に行くんですが… 僕以上に人見知りなんで… 滞在中は…僕が料理とかしますから… その…」
『来ないでください』という言葉を申し訳なさそうに濁らせる。
『あらぁ 坊ちゃまにお会いできるかと思いましたのに』
「ごめんなさい… 次のお休みの時は本邸と母さまのところに行きますから… またその時に…」
受話器をおいて電話を切ると、時雨に『口裏』を合わせてくれるように頼む。
「母さまや周りの人には『寄宿制の中学校に通いながら温泉旅館で働いてる』…って、ことにしてあるの… だから時雨も『学校の友達』ってことにして… お願い…」

この高級遊郭で多勢のお金持ちやら、社長やらを相手にしてきた時雨だが、やっぱり『別荘』だの『家政婦』だのが身近にある咲也とは、住む世界が違うような気がして少しやさぐれそうになりながらも
「おっけー」
と、短く答える。

「二人共、準備はいいかい? 車に乗って」
旦那がロビーの前に横付けした車の中から呼びかけてくる。
時雨と咲也は荷物を持って後部座席に乗り込む。

「咲也の家ではなく、別荘に行くんだって?」
と、車を運転しながら旦那が話しかけてくる。
「はい… 家の方はただの住宅街なんで… 特に面白いこともないんで…」
本当は家政婦や運転手など、住み込みの使用人さんが居るので、時雨と二人きりで過ごしたいからという事は隠しながら答える。
「それぞれ『怪我人』と『謹慎中』だということだけは忘れないように、ゆっくりしておいで」
駅に着くとそう言って見送ってくれる旦那に二人で一礼して。
「行ってきます」

山奥の小さな駅から終点までの切符を買って、一応温泉観光地である駅には駅弁の売店があり。
「時雨のリュックに… おやつは入れたけど… 朝ご飯も食べて来なかったから… 駅弁でお昼にしよっか…?」
お弁当自体もほとんど食べたことのない時雨と一緒に売店のサンプルを眺め。
「僕はこの鯛そぼろのにしよっと… 時雨はどれにする?」

ガラス越しのサンプルのお弁当に目移りしながら、うーんと小さく唸る。
どれがいいか悩むうちに咲也は早々に決めてしまい、さらにうんうんと迷ってしまう時雨。
「咲也と同じので…いいや」
食べられたら何でもいいと最終的に考えた時雨は咲也と同じお弁当を指差して、咲也ににこっと微笑みかける。
「僕の楽しみは食後のおやつなんだよね」

二人で駅弁を買って、本数の少ない電車をしばらくホームで待つ。
「なんかもう駅弁食べちゃいたい」
と、口にする時雨にくすくす笑いながら。
「電車の中で食べるから楽しいんだよ」
と、二人で駅弁を我慢していると3両編成の電車がノロノロとやってくる。

電車に乗り込むと、都心の電車のように窓際に座席が並んでいる車両ではなく
2人ずつ向かい合うように座るボックス席の電車で。
「うわー なんかレトロ」
と、咲也は呟きつつこれから数時間かかるという電車の旅を楽しむように乗り込み、時雨と向い合って座って。
「じゃあ 待望の駅弁… 食べようか」
待ちきれないというように頷く時雨にまた微笑みながら駅弁の包装紙を開けて。
「いただきまーす」
車窓の山々の新緑と、少し開けた窓から入ってくる風が気持ちいい。
「ん 美味しいね…」

駅弁を食べ終わり、時雨のリュックの中のおやつをデザート替わりに食べていると、車窓から見える景色が山々から下るに伴って大きくなってきた川沿いを走っているのが見える。
「このままこの川が海に繋がってるトコまで行くからね」
と、行き先を少し説明する。

遊郭に来た時は一条様のリムジンで高速道路を走ってきたし、それ以来遠出をすることがなかった時雨は、自分が何処にいて何処に向かっているのかさっぱりわからない様子で。
「海かぁ」
と、車窓に張り付くように外を見て変わっていく景色を楽しそうに眺めている。

一時間ほど電車に揺られて終点の駅に着くと
「次も電車に乗り換えるよ」
と、咲也が手を引いて次の電車の切符を買って乗り換える電車のホームに向かう。
さっきの電車は貸切状態だったのと違い、今度の電車では乗客の姿も増えて。

ボーダーカットソーにデニムのスリムパンツをロールアップしてローファーという遊郭での着物姿とは全く違う格好をしている咲也だが『ボーイッシュな女子中学生』に見えるのだろうか、電車の中でも駅を歩く時もずっと時雨と手を繋いでいるが、特に奇異な目で見られることもなく。

「ちょうどゴールデンウィークで良かったね… 僕達みたいな子供が旅行してても 補導されないから…」
確かに電車の中には小学生くらいの子が家族旅行だろうかチラホラと見かける。

「んー… なんで電車の揺れって眠くなるんだろ…?」
と、言いながら横に座っている時雨の肩に寄りかかるように眠そうにしている咲也。
「この電車も終点まで行くから… 乗り過ごすとか言う心配ないから… ちょっと寝る…ね…」
時雨に寄りかかって眠りに落ちてしまう咲也。

時雨は一人でおやつを食べながら、寄り掛かる咲也を起こさないように首を傾けて、さっきの川が海に流れ着いたのか、電車が海沿いを走っている景色を眺める。 水面にキラキラと太陽が乱反射して眩しいが、初めて見る海の広さに途中下車して海岸に降りてみたいような気持ちで海を見つめ続ける。

終点の駅に付く車内アナウンスに咲也を揺り起こす時雨。
「ん… 着いた…?」
ふぁっとあくびして席を立って、網棚の上の荷物を取って電車を降りる。

「ここからちょっと歩くよ… この辺もバスの本数少ないから…」
と、時雨と手を繋いで海岸線の道を歩いて行く。
「別荘に行くの久し振りだなー」
と、周りの景色が変わっていない事に、懐かしそうに歩いて行く咲也。
咲也に手を繋がれているので、前を見ずに、すぐそこまで迫る砂浜や海の波の満ち干きを見ながら歩いて行く時雨。

「海って入れるかな?」
と、時雨が咲也に尋ねると咲也は困ったように笑って。
「一応、海水浴場だけど… まだ5月だし水冷たいから無理だと思うよ…」
「そっか…」
咲也の答えに残念そうに海を見つめ続ける時雨。

「荷物をおいたら海に行こうね。水に浸かるのは無理だけど、砂浜や夕日が綺麗だから…」
しょんぼりしてしまった時雨を励ますように話しかけ。

しばらくすると海岸線の道から横道に入って別荘のある坂道を少し登る。
「お疲れ様。 着いたよ…」
いつも和室で咲也を見ていたので、和風の旅館のような建物を想像していた時雨だったが、咲也が門を開けて入っていく広い庭の先に建っていたのは、大きなウッドデッキと屋根に出窓が付いている天然木の美しい欧風の建物で。

ポカンとしながら咲也について玄関に入ると、スリッパが二人分並べられている。
それを見て咲也は、
「あー… 三田さん 来てくれたみたいだなぁ」
と、顔を綻ばせる。
時雨は思わず
「お邪魔します…」
と、挨拶してしまう。
それを聞いて咲也がクスクス笑いながら
「誰に言ってるの… 僕達しか居ないんだから、遠慮しないで…」

リビングに入るとテーブルの上に『おかえりなさいませ 咲也坊ちゃま』と書かれた封筒が添えられているアレンジブーケが置かれていて。
封筒の中身を読みながら穏やかな笑みを浮かべる咲也。
そして封筒の中にもう一通手紙が入っているのを取り出し時雨に手渡す。
「こっちは時雨に…だって」
「え…?」
少し驚きながら手紙を受け取る時雨。

『ご学友様へ
 離れた寄宿制の学校に通う咲也様を、奥様をはじめ使用人一同心配しておりましたが、このようにご一緒に当家をご訪問いただけるようなご学友様が出来たことに皆で喜んでおります。今回はおもてなし出来ずこのような書面でのご挨拶で失礼致します。これからも咲也様と仲良くしていただけるようお願い致します。』

年配の女性のものと思われる優しい文字で、短い文面ではあるが、咲也のことを想っていること時雨に対しての感謝が行間から読み取れるような手紙で。

誰かと友達になったからといって、こんな感謝をされたことがない時雨は少し照れくさそうに何度も手紙を見つめ、でも心の隅で、こんなに想われている、帰れる場所のある咲也を羨ましく思ってチリっと胸が妬ける。

時雨が手紙を読んでる間にリビングからキッチンに行って三田さんが用意してくれたのだろう、食材でいっぱいの冷蔵庫を覗きこんで。
「これはしばらく買い物行かなくてもいいくらいあるなぁ」
と、呟きながら時雨の元に戻ってくる。

時雨は手紙を大事そうにリュックのポケットにしまって。
「いい家政婦さんなんだね」
と、咲也に微笑みかける。
「うん。僕のお爺ちゃんとお婆ちゃんは、僕が生まれる前とか、すごくちっちゃい頃に亡くなっちゃったから、三田さんが僕のお婆ちゃんみたいな感じなんだ」
そう説明しながら床に置いていたボストンバックを持って。
「んじゃ 寝室は2階だから」
と、階段を登っていく。
咲也の後をついて階段を登って行くと
木の香りのする広い吹き抜けがあり。
「こっちが僕の部屋。そっちは父さまと母さまの部屋だから…」

咲也の部屋は広く、ベッドも遊郭のダブルベッド程の大きさで、またも時雨はポカンとしてしまう。
そんな時雨に気付いてないのか、咲也は自分のボストンバックと時雨のリュックからシャツなど皺になる衣服を取り出してクローゼットのハンガーにかけて、今まで生活感の無かった部屋を『時雨の怪我が治るまで』住める環境を作っていく。

一通り終わらせると窓の外を見て。
「早く行かないとすぐ夕焼けになっちゃうね… 海 行こう…?」
時雨の手をとって階段を降りて。
「靴で行くと砂が入って大変だから、靴下脱いでコレ履いて」
と、クロックスを下駄箱から出して。
「早く 早く」
と、時雨以上に海に出るのが楽しみなように時雨を急かして、二人手を繋いで海岸まで少し早足で坂を降りていく…




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