番外編 第一話
「生まれた時から」
僕の中にある『一番古い記憶』は
何が理由だったかはもう覚えていないけど
保育園でわんわん大泣きして、忙しかっただろうに保母さんを困らせてたら、しーちゃんが来てくれて抱っこしてくれたこと。
保母さんがしーちゃんに
「時雨君ごめんね 咲也君のこと 見ててもらっていいかな?」
って、泣き止まない僕をしーちゃんに預けて、しーちゃんが
「うん 僕はさっちゃんのお兄ちゃんだからね それにさっちゃんは僕じゃないと泣き止まないから」
ってぎゅーってしてくれた。
僕が泣くたびにずっとそうやってきてくれたしーちゃん。
『一番古い記憶』のその腕はいつまでも僕をぎゅぅっと抱きしめてくれている。
四月生まれのしーちゃんと
三月生まれの僕は
兄弟だけど同じ学年で
保育園も同じクラスで
家でも保育園でも
一番仲がいい友達でもあった。
お父さんとお母さんは『共働き』でいつも家に居なくって、しーちゃんと一緒にケーキを食べたりして『お留守番』してる毎日だった。
「はい しーちゃん あーん」
しーちゃんは甘いものが大好きだからこうやってケーキを食べてる時はとっても優しい笑顔で居てくれる。
「ん… あーん」
美味しそうにケーキを食べて微笑んでるしーちゃんからは想像もつかないけどお父さんとお母さんが喧嘩してる時はしーちゃんが怒られてるわけでもないのにすごくイライラしてるのが分かる。
お父さんとお母さんがなんで喧嘩してるのか僕にはまだ分からなかったから二人の怒声に怯えて僕が泣いちゃったりするとお母さんがもっと怒っちゃう。
「咲也っ うるさいっ 時雨! ちゃんと咲也を寝かしつけてよ!」
って僕よりもしーちゃんが怒られちゃうから僕はしーちゃんと二人きりの時しか泣かないように頑張ってた。
「ほら さっちゃん ケーキ食べて落ち着いて?」
しーちゃんは僕が我慢してるのを気が付いてくれて優しくしてくれた。
「うん あむ…」
「さっちゃん 口の周り クリームだらけだよ」
くすくす笑いながらしーちゃんはペロペロと僕の口の周りのクリームを舐めとってくれる。
「ん… くすぐったよぉ しーちゃん…」
僕たちはこの行為が『キス』とか『愛撫』なんて名前がついていることさえ知らないうちから自然に交わしていた。
お父さんとお母さんが喧嘩してる夜は僕が落ち着いて眠れるようにしーちゃんのお布団に一緒に潜ってぎゅっと抱きしめてくれながらしーちゃんが歌を歌ってくれた。
保育園でもTVでも聞いたことのない歌。
歌詞がなくメロディだけのこともあった。
「しーちゃん それ なんていう歌?」
「んー? なんだろうね 『さっちゃんの子守唄』かな」
「この間もそう言ったけど 今日のと違うよ?」
「あれ? そうだったかな?」
しーちゃんは笑ってごまかすけど歌ってくれる歌は毎回違うものだった。
どれも耳に心地よく眠りに落ちてしまうけれど前に聞いた歌をもう一回聞きたいなと思ってもしーちゃんは覚えていないらしくて残念だった。
保育園でも家でもしーちゃんにべったりで僕の時間は生まれた時からしーちゃんと流れていた。
いつまでも続くと思っていたしーちゃんとの時間がある日離れ離れになることになった。
お父さんとお母さんが『離婚』した。
しーちゃんはお父さんに、僕はお母さんにそれぞれ引き取られることになった。
引越しの日。
何が起こってるのか訳もわからないまましーちゃんと離れ離れになるということだけは分かってボロボロと泣きながらしーちゃんに抱きついていたらしーちゃんが生まれる前からお父さんとお母さんの思い出の品として大事にされてたテディベアを僕に渡して。
「これを僕だと思って… あんまり泣いちゃダメだよ? じゃあね さっちゃん…」
しーちゃんも泣きそうに瞳を潤ませながらしーちゃんに抱きついてた僕の腕を離させテディベアを抱かせると後ろを向いてお父さんの車に向かって走って行ってしまった。
お父さんとしーちゃんの居ない新しい家で僕はまたわんわん泣いて暮らしてた。
「しーちゃんの所行くー うわぁぁぁん」
ってずっと言ってたらお母さんはどんどん怒っちゃって。
「しーちゃんはもう居ないの!」
って泣き止まない僕を叩いて…
テディベアに『しーちゃん』って名付けてずっと離さないで抱いていたらそれもお母さんには気に食わないらしくて一度取り上げられて
「こんなぬいぐるみなんて!」
って捨てられちゃうんじゃないかってくらい怒ってて。
「お母さん ごめんなさい もう泣かないからっ やめてっ 返してぇ お母さんっ」
床に投げつけられた『しーちゃん』を庇うように抱いてお母さんから逃げたら『しーちゃん』の右腕の付け根…肩が破れちゃってて…
「ごめんね しーちゃん… う…ぅう…」
それからもずっと『しーちゃん』を抱っこしてたけど右腕が取れないように左手で腕を掴んで右手で胴回りを抱きしめるように大事に大事に『しーちゃん』を抱っこしてた。
小学校に上がる年。
お父さんの所でもしーちゃんは泣かない強い子だったのに
「咲也と比べてかわいげのないガキだ」
ってお父さんと仲良く出来なくて結局しーちゃんも僕もお父さんとお母さんから離れてお爺ちゃんお婆ちゃんの所に引き取られることになった。
「しーちゃん…っ」
「さっちゃん!」
久しぶりに再会したしーちゃんは少し背が伸びてて『しーちゃん』ばかり抱きしめてたから体温という温もりのある抱擁が気持ちよくて嬉しくて。
「さっちゃん… なんで泣いてるの? お母さんのとこ辛かったの?」
ってしーちゃんを心配させちゃうくらい泣いちゃって。
「ううん… しーちゃんに逢えて… 嬉しくても…涙って…出るんだね…グス」
「そっか… 僕も嬉しいよ さっちゃん また一緒だね」
優しく髪を撫でてくれるしーちゃんはそのままで。
「うん… ずっと一緒がいい…」
再会を喜ぶしーちゃんと僕の横でお父さんとお母さんがお爺ちゃんに謝ってた。
お父さんはムスっとしたままだったけどお母さんは少し泣いてた。
お爺ちゃんはしーちゃんと僕を抱き寄せて
「この二人は引き離したら可哀相じゃ」
って手を取ってお父さんとお母さんにお別れしてしーちゃんと僕とお爺ちゃんの3人で新幹線に乗って山里と言っていい田舎の村まで連れて行ってくれた。
田舎で待っていたお婆ちゃんが出迎えてくれた。
「しーちゃんもさっちゃんも大きくなったわねぇ」
ってしわくちゃの手で髪を撫でてくれた。
そして僕が抱っこしてた『しーちゃん』を見て
「あらあら お爺さん この子 さっちゃんが持ってたのねぇ」
「そのようじゃ 久しぶりに懐かしい気持ちになるのぉ」
お爺ちゃんお婆ちゃんの会話に『しーちゃん』のことを知っていたのに気付いて。
「このくまちゃん お婆ちゃんのなの?」
って聞いたら
「いいえ お爺ちゃんのですよ」
って答えてくれた。
「え お爺ちゃんもぬいぐるみ好きなの?」
びっくりしてお爺ちゃんを見上げると
「はは この子は特別なんじゃよ」
ポフポフと僕の腕の中の『しーちゃん』の頭を撫でる。
「…お爺ちゃん ごめんなさい この子… 怪我しちゃったの…」
左手で握って固定してた右腕の付け根を見せて。
「おやまぁ… 大丈夫じゃよ これでも婆ちゃんはお裁縫が得意だからのぉ」
「ええ… さっちゃんがちゃんと抑えててくれたから 布も破けてないし 綿も出てきてないから 縫えば綺麗に直りますよ」
にこにこ笑いながら泣きそうに俯く僕を撫でてくれた。
「よかった…」
お爺ちゃんとお婆ちゃんを交互に見上げて安心したように微笑む。
「本物のしーちゃんが居るから… 僕は大丈夫だから ちゃんと直してもらうんだよ?」
って『しーちゃん』をお婆ちゃんに預けて。
「良かったな さっちゃん」
しーちゃんも僕を撫でてくれた。
お爺ちゃんとお婆ちゃんと暮らす田舎での生活はしーちゃんも一緒ということもあり僕にとても充実した時間を与えてくれた。
入学した小学校は全学年生徒集まっても10人程しかいない寂れた学校で、しーちゃんと僕は望まずして二人きりの時間、二人にしか通じない暗号遊び、二人の秘密基地などなど、二人だけの時間や世界を共有していった。
『子供の時間』はあっという間に進んでいく。
小学校や田舎の村に慣れる頃にはもう夏休みになろうとしていた。
しーちゃんと一緒にお風呂に入りお互いの髪や身体を洗いっこしてゆっくり湯船に浸かってホカホカと温まって出てくれば半袖のパジャマだと寝冷えするのかすぐに風邪をひく僕はお婆ちゃんの縫ってくれた浴衣を着せられて。
逆にタンクトップと短パンじゃないと暑くて眠れないというしーちゃんと一緒に扇風機の風に当たって涼む。
「ほれ 二人とも暑そうじゃの アイスお食べ」
ってお爺ちゃんがしーちゃんにスイカバーを渡して。
「僕もー」
っておねだりするとお婆ちゃんが
「さっちゃんは1本食べるとおなか壊すでしょ ダメですよ」
って言われちゃう。
「もうー それちっちゃい時だよー もう大丈夫なのにー」
って僕が拗ねてるとしーちゃんが
「ほら さっちゃん 半分あげるから」
なだめるように濡れた髪を撫でてくれる。
「ん… ありがと しーちゃん …シャク」
しーちゃんの向けてくれたアイスの先端を食べる。
「チョコの種はちょうだいね?」
「ん… シャクシャク あ あったよ チョコの種 んー…」
舌先にチョコの種を乗せてしーちゃんに向ける。
「うん… ちゅく… …ちゅ」
一緒に味わうかのように僕の舌ごと舐めるようにしーちゃんの舌が絡まる。
小さい頃からしていたので僕はこれが普通だと思ってた。
でもお婆ちゃんは心配そうに言う。
「もう小学生ですし… そろそろ『アレ』は 辞めさせた方がいいんじゃありませんかねぇ」
「ただの仲の良い兄弟の遊びじゃよ そんな風に見てしまうのは大人の邪推というもんじゃ 大人になれば自然としなくなるもんじゃって」
お爺ちゃんがなんでもない事のように諭してくれていた。
「また チョコの種あったよ あーん」
小さな舌にチョコの種を乗せてしーちゃんに口移しで渡した時にしーちゃんが優しく絡めてくれる舌に『チョコをあげる』というのとは違う感覚が生まれ始めたのはいつのことだったろうか…
「ちゅ… ちゅく…」
温かいしーちゃんの舌と溶けるチョコ…
絡め取るように舌を絡めながらしーちゃんがチラッとお婆ちゃんの言葉に視線を向けるのが分かった。
しーちゃんも僕も少しづつ気が付いていた。
『これはイケナイ事なんだ』って。
だから自然と学校ではしなかったししーちゃん以外の友達とやることもなかった。
それはしーちゃんも同じようで『二人だけの特別』だと思っていた。
二学期になって久しぶりに学校に行くと今まで感じなかった『派閥』のようなものが出来上がっていた。
どうやら夏休み中に集まって遊んでいた子達がしーちゃんや僕みたいに顔を出さなかったり、旅行で都会の親戚の家に行っていた子を仲間外れにしてるらしかった。
僕はしーちゃんにどうするか聞いたけど
「くだらないから放っとけ」
ってしーちゃんらしい回答が返ってきた。
僕もしーちゃんが居ればあとはどうでも良かったから気にしないでしーちゃんと遊んでいた。
その頃僕は気づけなかったんだ。
僕の知らないところでしーちゃんがイジメられてたり僕にイタズラされそうになってるの庇ってくれてたこと…
何回もそういうことがあったのだろう。
僕と同時に買ってもらったしーちゃんのランドセルは傷だらけで、靴も体育のなかった日でも泥だらけで。
お婆ちゃんはお洗濯する時に
「しーちゃんはおてんばさんなのねぇ」
って笑ってたけど、しーちゃんは僕を庇って喧嘩してたんだって気がついたのはずっと先の話…
先生にもお爺ちゃんお婆ちゃんにも僕にさえ内緒にしながら学校を『僕にとって居心地の良いところ楽しいところ』ってしておくためにしーちゃんは全生徒と僕の知らないところで喧嘩して学校で一番強い子になっていた。
成績も運動もなんでも一番のしーちゃんに誰も歯向かわなくなる頃には僕たちは4年生になっていた。
4年生の夏休み。
いつものようにしーちゃんとお風呂に入り流石にお婆ちゃんも僕にもスイカバー1本渡してくれるようになった。
相変わらず庭に面した縁側で扇風機と自然の夜風で涼みながらスイカバーを食べていると数年前を思い出して。
「前は半分こだったよね」
「うん」
「チョコの種だけは全部しーちゃんのだったけど」
「そうだね」
僕はなんだか懐かしくて自分の分として1本食べれるように成長したんだなぁなんて思ってたら
「…さっちゃんはもう忘れちゃったのかと思った…」
急にしーちゃんの元気がないことに気づいて。
「どうしたの? しーちゃん? 忘れるって何を?」
しーちゃんの顔を覗き込むと困ったような笑顔で。
「もうチョコの種はくれないんだろうなぁって」
しーちゃんの言葉に頭の中は『?』だらけになった。
そして意味がわかった時顔から湯気が出てるんじゃないかって言うほど恥ずかしくなって俯いてしまう。
「…しーちゃん… シャクシャク… ん あったよ… はい あーん」
今までずっとしてきたことなのにちょっと久しぶりになったくらいでなんでこんなにドキドキしちゃうんだろうって頭の中グチャグチャになりながらも恥ずかしいのをこらえてしーちゃんに舌先のチョコを渡す。
「んぅ… くちゅ ちゅっ はぁ…」
「さっちゃん… ちゅ…ちゅぅ… …ん さっちゃん…甘い… ちゅ」
チョコの種は口実で本当はこうして僕とキスしたかったんだと分かるくらい積極的に舌を絡めてきて口内も舐め回され
「はぁ…ッ はっ んぁ…しーちゃ…」
『チョコをあげる』とは違う感覚が『気持ちいい』のだと分かってきて…
息を乱しながらしーちゃんの舌に吸いつく。
その夜は寝付くまでお布団の中で軽い口づけを頬や耳にもしてもらいながらくすぐったいけど気持ちよくて…
そのままぐっすりと眠りにおちていった。
寝る前にアイスを食べたからだろうかトイレに行こうと目が覚めると隣で寝ていたしーちゃんが
「はぁはぁ…」
って荒い息づかいで身体を震わせていた。
「しーちゃん…? どうしたの?」
っと背中から声をかけるとビクンってしーちゃんの体が揺れて。
「さっちゃん… 起きてたの?」
「ううん 今起きただけ… トイレ…」
もぞっとお布団から出るとしーちゃんは体を丸めて変な格好で寝ていた。
「お腹痛いの? 大丈夫」
「平気… 早く行っておいで」
さっきまであんなに乱れてたしーちゃんの呼吸が言葉を発する時以外は息を止めて我慢してるのがわかった。
しーちゃんが苦しくならないうちにトイレに向かう。
どうしたんだろう? しーちゃん どっか具合悪いのかな…
心配しつつトイレから帰ってくるとしーちゃんはまだ荒い息づかいで丸まっていた身体はクテっとお布団に身を投げ出していて。
「…どうしたの? しーちゃん」
しーちゃんがこんなに寝相悪いのも珍しくて。
「なんでもない… おいで さっちゃん」
腕を伸ばして僕を抱き寄せて腕枕してくれる。
まだしーちゃんの鼓動がドクドクと脈を打っているのが伝わってくる。
何があったのか聞こうとしーちゃんを見上げた途端唇を塞がれた。
今までのチョコの種とは違う口内に舌を差し込み歯列を確かめるようなお互いの唾液が混ざり合いクチュクチュと水音が部屋に響き渡る激しいキス…
約一年早く生まれているしーちゃんは僕より先に『大人』になろうとしていた。
『大人』になっていない僕にはそれがどんなにしーちゃんにとって苦しいことだったのか理解してあげられなくて…
ただしーちゃんが求めてくるのに応えるしかできなかった。
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