第四十話
「綻び」
影楼の朝
――時間的には昼過ぎだが――
仕事を終え眠りから覚めた男娼たちが一同に会し朝食を摂る賑やかな食堂に、珍しく咲也の大きな声が響く。
「また隠れて食べて!」
男娼たちが咲也たちのテーブルに視線を向けるのも気にせず、咲也は正面に座る時雨を睨んでいる。
咲也が大声を出すことは珍しく、一部の男娼たちはきょろきょろと目を泳がせるばかりである。
「いいじゃないか! 少しくらいなんだよ!」
さらに時雨まで声を荒げて咲也に食って掛かれば、食堂内は二人を除いてしんと静まり返っていた。
同じテーブルでは、二人の事は全く意に関せず黙々と食事を続ける柚槻と、珍しい二人の喧嘩に興味津々の双子が時雨を挟んで座っている。
「お菓子食べちゃダメとは言ってない!
毎日一個ならいいって言ってるでしょ!
隠れてコソコソ食べてるのがイヤだって言ってるの!」
反論する時雨にもおじけずかず強い口調で続ける咲也。
「別に誰にも迷惑かけてないじゃん!
何が悪いのさ!」
バンとテーブルを叩いて立ち上がれば時雨は咲也にずいと顔を近づける。
「そういう問題じゃない。
ただ、僕と柚ちゃんとの『約束』破ってるって言ってるの」
立ち上がった時雨を上目遣いで睨みながら、時雨のペースに乗って頭に血が登らないように、声のトーンを抑え気味に言う。
「あれは、僕がダイエットしなきゃいけない状況だったからでしょ!」
対照的に時雨はどんどんヒートアップして咲也に詰め寄る。
「あはは〜 時雨は今でも〜」
「プニっとしてるよねぇ?」
と、張り詰めた食堂の空気を一声で和ませるような双子の明るい声がし、テーブルに手をついて前のめりに咲也に詰め寄っている時雨の背後からペローンとシャツを腰から捲り上げて白いお腹を晒させる。
特段プニっとしているようには見えなかったがこの状況でその姿にさせられた時雨に他の男娼達から笑い声が上がる。
「ふ、ふざけるなああ!」
時雨は顔を真っ赤にしてシャツを戻し、またテーブルをバンと叩いてフルフルと震えながら双子を睨む。
「あはは〜 時雨 そんなんじゃ咲也ちゃんのおやつも没収しちゃうよ〜?」
と、春陽が煽れば
「そうそう 僕たちが美味しく戴いてあげるから心配しなくていいよぉ? ね 咲也ぁ」
と、秋月も乗っかる。
「あー! そうだよ! もう知らない
咲也のおやつなんかいらないよ!
勝手にに自由に食べるからさ!」
時雨はフンと顔をそむけて、乱暴に食堂のドアを開ければそのままずんずんと部屋へと戻ってしまう。
「え… え…」
双子の言葉に戸惑っているうちに、ヒートアップしていた時雨には売り言葉に買い言葉だったのだろう、『咲也のおやつなんかいらない』と言われてしまった。
「…時雨っ」
食堂を出て行く時雨の背中に呼びかけるが、振り向きもせず行ってしまった。
「あーあ… 行っちゃった〜」
「つまんないのぉ」
悪びれずもせず双子が席に戻り朝食を再開する。
「…お前らなぁ」
はぁ…っと、ため息を吐いて柚槻がゆっくりと席を立ち双子の背後に立つと
「何 喧嘩煽ってんだ!
このドッペルゲンガーが!」
二人の頭を両手で掴んでゴツンとお互いの頭に頭突きさせる。
「「いった〜ぁいッ」」
食堂に二人の悲鳴が響く。
「ったく… 咲也もあんま気にすんじゃねぇぞ?」
「…はい」
柚槻のフォローにそう答えたものの、誰かと喧嘩するということに慣れていない咲也は今の状況をどうしていいのかすら分からなかった。
すぐに時雨を追って謝りに行ったほうがいいのだろうか。
でも今は『いらない』と言われたことが悲しくて…。
「…ッ」
ジワっと目頭が熱くなるのを感じて早々に席を立ち、時雨の残していったトレーと共に自分の食器も返却口に置いて咲也も逃げるように食堂をあとにする。
溢れそうになる涙をこらえながら、足早に自室に着くと、障子を閉めた途端その場にうずくまる。
「…うっ… ふぇ…」
時雨に喧嘩をふっかけてしまったのは自分からだ。
そのせいで『咲也なんていらない』と言われてしまった。
自業自得だとは思いながらも悲しくて涙が止まらなかった。
咲也が悲しみに暮れていると
「咲也」
と、障子の向こうから声が聞こえてくる。
やや低い声で、時雨のものとも、柚槻のものとも、はたまた双子の声でもない。
「…誰?」
今は誰とも会いたくはないと思いつつも、障子のすぐ前で泣いていたのだ、部屋にいることはバレているだろうから居留守を使うわけにもいかない。
気乗りしない声で障子の外に問いかけながら、うずくまっていた身体を起こす。
「入るぞ」
ぶっきらぼうに一言声をかけて入ってきたのは、すらりと着物を着こなした男娼だった。
さらりとした黒髪は、時雨のものとよく似ているが、ところどころ跳ねるようなクセがあるのがわかる。
切れ長の瞳が咲也を見据える。
その数秒後には、膝をついて咲也の肩を撫でる。
「司…?…」
入ってきた男娼に少々の驚きと戸惑いを見せながらも部屋に招き入れる。
「………」
まだ涙で濡れた顔を俯かせて居ると不意に肩を撫でられピクっと肩をすくめる。
「ああ、びっくりさせてしまったか? すまない」
ヒクリと肩をすくめる咲也に司と呼ばれた男娼はふっと手を肩から離す。
「ちょっと心配になって覗いてみた」
「…いえ」
俯いたまま小さく首を横に振って。
司の気遣いと優しい言葉が今は身にしみるようでまたポタポタと涙が畳に落ちる。
司は咲也の悲しむ姿に、自分のことのように悲痛な表情を浮かべる。
それ以上は何も言わずに咲也が落ち着くのを背中を撫でながらじっと待つ。
「…ぅ…ッ ひっく…」
まるで泣いていいよと言ってくれているような司の大きな手で背中を撫でられると、普段人に頼ったりすることのない咲也も、甘えるように司の胸にしがみつき流れるままに涙をこぼす。
「…し…時雨が… 僕の…こと…
ひっく いらない…って… ふぇ…ぅぅ…」
「慌てるな。 そうは言っていない。
『咲也のお菓子はいらない』と、言ったのだろう?」
泣き崩れている咲也をゆっくりとなだめる司。
「ゆっくり息吸って、落ち着いて」
「ぅん… ひっく ぐす…」
思い切り泣き終わった頃に、司に上手にあやされ、すぅはぁと深呼吸を繰り返しゆっくりと泣き止んでいく。
「ああ、よかった落ち着いたみたいだな」
透き通るような低い声でクスリと笑えば、ふと立ち上がりあたりを見回す。
「なにか、飲むか?
と言っても咲也の部屋なんだがな」
困ったように頬を指で掻いてみせて。
「ん… ありがと…」
泣き止んで落ち着いてみれば、急に恥ずかしくなり、パッっと司の胸から離れて。
「えと… 冷たい緑茶で…いいですか?」
お客様用のガラスの湯呑を取り出し冷蔵庫を開ける。
急に普段の様子を取り戻したのを見て一瞬あっけにとられるが、またクスリと笑って。
「ああ」
と、一言で返事をする。
「…はい どうぞ…」
司の前に氷の入った涼しげな緑茶を置き、自分も隣に腰を下ろし、泣きはらして乾いた喉を緑茶で潤す。
「…あの… なんか…ごめんなさい…」
からりと氷が触れ合う音が響き、一口茶を飲んで
「いや、いいんだ、俺の勝手な気遣いだから」
と、ふるふると首を横に振る。
「しかし驚いた、咲也が怒るところなんて見たことがなかったからな」
「…はい」
怒るところも泣くところも人には滅多に見せない自覚のあった咲也は、また恥ずかしそうに俯きながら両手で持ったガラスの湯呑に視線を落とす。
「俺はいいと思う
怒ったりしてるところも見れてよかったと思ってる。
悪い意味じゃなくて」
と、咲也に語りかけてみる。
「あれ、フォローになってないな」
と、その後首をかしげてみて。
「そ…そうですか…?」
司の言葉に首をかしげていると、司までフォローになってないと言い出し同じく首をかしげるので
「…ぷ」
なんだかそれがおかしくてクスクスと笑い始めてしまう。
「あ、笑ったな?
うん、それでいい
咲也には笑顔がよく似合う」
和らいだ雰囲気に司もやんわりと微笑みまた茶を口に含む。
「しかし時雨にも困ったものだ
まあ一時のものだろうが、まだまだ幼いな」
「…はい くすくす」
司の横で少し緊張していた咲也の空気が和らいだのが感じられる。
しかし、話題が時雨のことに戻れば
「………」
すっと表情に影がさし、また俯いて手の中の湯呑に視線を落とす。
「ああ、すまない
ちょっと空気が読めなかったか」
と、司は申し訳なさそうに咲也に語る。
「だが、これだけは言っておかなくてはな」
と、少し間をおいて
「咲也のことをしっかり見てくれている人間は何も時雨だけじゃない」
「いえ… 大丈夫です」
謝る司に小さく首を振って、自分の方こそ気を遣わせて申し訳なさそうに何とか微笑みを浮かべて司を見つめる。
「…え?」
司の言葉の意味を分かりかねて問い返す。
「やはり咲也、お前をさまざまな背景で見るような輩もいるだろう。
時雨はありのままの咲也を好いているのだろう」
ふう…と、一息ついて
「ありのままのお前を認めてくれているのは他にも居る」
「ありのままの…僕…?」
それは咲也にとっては一番嬉しいことでもあり、一番恐ろしいことでもあった。
確かに咲也は、最初は自分のことを何も知らない時雨を好きになった。
そして全てを…ありのままの自分を知っても好きでいてくれる今の時雨が好きだ。
だがそれが他の人だったら?
「………」
今まで考えた事のなかった言葉にじっと司を見つめて黙り込む。
「俺もその一人だ」
司はまっすぐな瞳で咲也を見据える。
「俺は咲也をそういう背景では見ないし、ひとりの男娼、いや人間として見ている。」
「司…? …え…?」
時雨が初恋の相手であり、時雨としか恋愛経験のない咲也には、司の言葉の真意が測りかねて
「それって… どういう…?」
かぁぁっと頬を赤らめ目線をそらすように俯く。
「ああ、また勘違いさせてしまったか」
と、司は首をかしげて
「そういうつもりで言ってるんじゃないんだ
咲也が困ったらいつでも駆けつけてやると…
いやまた勘違いさせそうだ」
「…あ、いえ… すみません…」
勘違いで照れてた自分が恥ずかしくて、更に顔を真っ赤にして小さく縮こまるように肩をすくめて下を向いたままドギマギと答える。
「いずれにせよだ、俺は咲也が…なんだ、心配でな」
と、からんと茶を飲み干す。
「これじゃあ、何か告白しているようだな…」
と、ふう…と、ため息をつく。
「………はぃ」
咲也もてっきり告白されているのかと勘違いしていたので、真っ赤になりながら司の言葉を肯定する。
「さ、咲也…」
すると障子の向こうからもう一人か弱い声が聞こえてくる。
今度は咲也の聞きなれたあの声だった。
その声にパッと顔を上げて障子を見る咲也。
「…時雨…」
まだ怒っているのだろうか…
不安に顔を曇らせ、ぎゅっと強く握ったこぶしを膝の上でかすかに震わせる。
サアっと障子を開けて時雨が入ってくる。
その表情は今は、どこか泣きそうなもので
「さ、咲也…あの…その……」
障子を開けた時雨の視界に飛び込んできたのは、いつもの見慣れた咲也の部屋に、泣いていた名残だろうか顔を真っ赤にして目を潤ませた咲也と、――司の姿。
咲也の姿と、普段それほどからまない司という組み合わせが時雨をさらに追い込んだようで
「ごごご…ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさい!」
時雨はその場に座り込んで必死に謝罪をする。
「し…時雨?」
土下座する勢いで平謝りする時雨に、咲也はまたジワと涙を浮かべ。
「ごめんなさい…時雨 怒って…ごめんなさ…い…」
「ごめんなさい、僕、ひどいこと言っちゃったよう…
冷静になってみたら咲也の言うとおりだった…」
うわーんと頭を下げ続ける時雨、それに寄り添う咲也の姿。
「なんか場違いか?」
と、一人つぶやく司。
「時雨…」
頭を上げてっと時雨の髪を撫でながら
「…えっと…」
司の言葉に振り返り、この状況をどうしたものかと困ったように苦笑いを浮かべる。
「まあ、時雨のことだからそんなことだと思っていたよ」
と、軽く微笑む司。
「この先、こういうことが度々あるだろうな……
余計なお世話か」
と、また首をかしげる司。
それを見て時雨は頭の上に『?』が浮かぶ。
「司… あの… …ありがと…」
司の方を改めて向き直りペコリと頭を下げる。
「…その… 変に誤解しちゃって…
でも…嬉しかった… ありがとう」
顔を上げて司に最上級の微笑みを向ける。
「そうか…ならよかった
それじゃ俺はこれで失礼する」
うんうんと頷いて、時雨の方を向いて
「ああ、あと時雨、あまり咲也を泣かすな」
と、真顔で一言添えて咲也の部屋を後にする。
時雨は司の一言にただ何度も頷くだけ。
「…ッ」
司の一言にまたカァっと顔を赤らめながら、部屋を出て廊下を夕霧の建物へと歩いていく司の背を見送る。
司が見えなくなると部屋に戻り障子を閉める。
「…時雨」
二人きりになった途端、やはり気が緩むのだろう涙が溢れそうになるのを堪えながら時雨を見つめる。
「あのね…」
「うん?」
時雨は咲也の言葉に耳を傾ける。
「お菓子… 隠れて食べるのやめて…
僕の作ったおやつを…食べてって…
言いたかったの…」
なのに時雨ってば…っと、ちょっと拗ねたような顔をして見せて
「…いらない?」
「いる! 絶対いる!
咲也のお菓子がない生活なんてやだ!」
と、ぎゅうと咲也を抱きしめる。
「…時雨…っ」
咲也もぎゅっと時雨を抱きしめて。
しばらくそのままぎゅっと抱き合いながら、どう言ったらいいのか考えあぐね、恥ずかしくて真っ赤になりなりながら小さな声で言葉にしていく。
「…おやつ…だけ…?
時雨にとって…僕は……」
「っ… 違うよ…
咲也がそばにいればなんだっていいよ…」
と、耳元で囁く時雨。
時雨も顔を赤く染めている。
「…時雨 ちゅ」
抱きしめていた腕を解き、時雨の頬に手を添え軽く唇を重ねる。
「…時雨を… 感じさせて…」
潤んだ瞳で時雨を誘う。
「ん… いいよ 咲也 ちゅ…」
時雨もそれに応えるように咲也の唇に優しくキスを落とす。
そしていつもの流れに従って、二人は愛を確認し合う。
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